三峡下り

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∞∞漢詩紀行∞∞

 早(ツト)に白帝城を発す

                 李白

 朝に辞す白帝彩雲の間

千里の江陵一日にして還る

両岸の猿声啼いて住まざるに

軽舟已に過ぐ万重の山

 

※彩雲…朝焼けの雲/江陵…現在の湖北省江陵/万重の山…折り重なった山々

 

白帝城で罪を解かれた李白、長江を下り帰路につく軽やかな心を詠う。(異説あり)

 

↑奉節の魚復七塔。

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白帝城。

白帝廟ともいう。三峡でもっとも名高い名所古跡。

前漢末期、公孫述がこの地に独立王国を築き、自ら白帝と名乗ったことから命名された。劉備を祀る白帝廟には「劉備託弧」のエピソードが塑像で紹介される。孔明が星を観測した望星亭、杜甫が住んだ西閣も有名。

 

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「劉備託弧」の

彩色像群。

蜀漢章武二年(222年)。劉備は呉蜀夷陵の戦いで大敗し、魚復まで退却した。憂いと悔しさのあまり危篤になり、死に臨んで息子劉禅の行く末を諸葛孔明に托した。

 

 

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