愛と哀しみの過大退職金
釣瓶落としに涼しさを恋い慕う残暑9月。
色恋の話というのは、平安時代の高貴なお方から江戸時代の町民を経て、20世紀末の混迷を生きる人々に至るまで、手頃な話題として盛りあがりやすい。特に、三角関係話がホットになりやすく、最近では、税法まで口を出すようになった。大人の税法といわれている法人税の法令で特殊関係使用人の範疇に親族以外の者まで囲い込み、即ち、愛人を保持するために税金を減らす方法は認めない、ということまで法令化する始末となった。そのようなことは常識の範囲内で解決すべきことなのに、わざわざ法令にするのは何らかの別の意図もあるのかもしれないが、別離の一時金を退職金と呼ぶのであれば、その過大分についても規定していて、なかなか抜かりがない守備、即ち法整備になっているのである。
「何や、センセ、特殊関係があったら退職金も高いのはダメやっちゅうことなんやな」
呆れるような口調でそういった森喜久蔵社長である。
「まぁ、給与の延長と考えればわかりやすいでしょうね」
「しかしなぁ………」
そういって、森喜久蔵社長は目を細め、深々と煙草を吸った。
「社長、ご不満そうですね」
くすっと林菊代が笑った。
「社長にもその該当者がいるんですか?」
ゴホゴホッと森喜久蔵社長が咳き込んだ。
吹きだして笑ったのが、林菊代とS税理士である。
「社長、ズバリいいすぎてすみません」
「いや………センセ、女房だけや、ワシはな」
むせた状態をようやく元に戻して
「煙草のせいやな」
そういって、森喜久蔵社長は煙草をもみ消した。
「先生、高い安いというのは、その人毎に感覚が違うから難しいってことなんですか?」
林菊代が真顔に戻ってそう訊いてきた。
「そうですね………あくまでも個人的な感覚でいうならば、世間相場を仮に100とすると、120はやや高、80はやや安、しかし、200だと高いと感じる人が多くなるんじゃないでしょうかね。それで、もし、今いった判断が世間の常識と大多数の人々が思うのなら、その辺の判断で高い安いを決めることになるんでしょうね」
「ふ〜ん、ワシは120でも高いと思うわ、林さん、どうや?」
「私は……80になるまで買いません」
「さすが賢い奥さんや」
「ここで話し合っている3人でも高い安いの感覚が違うんですから、いかに難しい判断かってことになりますよね」
「たとえばやな、愛人が仕事をちゃんとしとって、何かの都合でやめたから退職金を払ったとき、それが仕事の内容によっては高いでということになるかも知れんちゅうことやな」
「その退職金が過大なのかどうか、ということなんですが、事実関係をよ〜く調べていくと、極端な例をいいますとね、社員イコール愛人が退職したから退職金を払ったと仮装して、実は社長のフトコロにはいっていた、というケースがあったりして…」
「そりゃスゴイな」
「これなんかは論外で役員賞与なんですが、事実をよ〜く追及しないと、これみたいに違う規定に該当するかも知れませんし…」
「退職金という名の手切れ金なのかどうかもよぅ調べんとわからんのやな」
「私的行為である愛と哀しみの代償として支払ったおカネを、自らがオーナーである法人で損金化するのは、私的には合理的でしょうが、公的、第三者的にはご都合主義で不当行為以外の何ものでもない、ましてや、節税になるなんてとんでもないって…」
「会社の愛人じゃないんですからね、先生」
いやそうな顔をしていた林菊代が早口でそういって、S税理士に同意を求めた。
おっ、と驚くように身を引いた森喜久蔵社長。
「個人的な愛と哀しみの代償を、関係のない会社がどうして負担しなきゃいけないのかって考えれば、答は自然にでてきますよね」
「ふ〜ん、そうか……そうなんやなぁ」
「これで、友達にも説明できますよね、社長」
「うん………友達はオフィスワイフも必要やって、あるコンサルタントのセミナーで聞いたらしいんやけどな」
「オフィス、ワイフ?」
素っ頓狂な声でS税理士が訊き直した。林菊代も驚いた顔をしている。
「孤独な闘いをしている経営者を支えたり、助けたり、癒してくれたりするんやって…」
「はぁ……、私は勉強不足で、そういう存在が経営に必要だってことは知りませんけどね」
S税理士は首を傾げてそういった。
「もし、仕事のできるキャリアウーマンやったらどうなんや?」
「たとえば、部長で、経営にもタッチしていて、そのオフィスワイフで…」
「そういう人の給与や退職金は?」
「社長、その人は取締役ですか? 株主ではないんですか?」
「う〜んと、そうや、でも株は持ってないな」
「かなり具体的ですけど、実話みたいですね」
「いやいや、仮の話や」
「まぁ、でも、ある会社の社長の愛人が使用人兼務役員ってこともありそうですからね。給与規定や退職金規程に従って、使用人兼務役員としての働きに見合った相当の金額であれば認められるでしょうね」
「その相当の金額以上ならダメなんやな」
「それがいくらって訊かないでくださいよ」
「愛人手当やっちゅうんやろ」
「いえいえ、社長、オフィスワイフ手当なんでしょうね。まぁ使用人兼務役員だったらそれが役員報酬部分になるのかも知れませんし、役員報酬なら損金になりますし、その人が本当はどういう立場でどういう仕事をしているかって事実関係をキチッと調べて、給与とか退職金が過大かどうか…」
「税務署って社長と愛人社員の関係まで調べるんですか?」
林菊代が割り込んで訊ねてきた。
「もし、調べたら私立探偵みたいですよね」
プッと吹きだした林菊代。S税理士も笑ったが、森喜久蔵社長はニコリともしなかった。
「そしたら、センセ、経営にタッチっちゅうのはどういうことなんや?」
「いろいろありますが、売上げ仕入れの金額の決定権、資金調達や運用の決定権、取引先の選定や契約の決定権、それらを持っていて、社内的な肩書きや給与や待遇が高いとか…」
「ひとつでも当てはまると経営にタッチになるんか?」
「まぁ社長、ちょっと、これ以上の突っ込んだ話は時間と場所を改めてお話しましょうか」
「うん………、そうやな」
森喜久蔵社長が林菊代の横顔をちらっと見て、そうこたえた。
嘆かわしいことだが、何でもカネで精算するしかない世の中となり、愛と哀しみの個人的な代償をオーナー会社の損金として、つまりその半額相当を税金で負担してもらおうという行為を防止するために、当節、わざわざ法令で定めなければならなくなった、という見方はいささか皮肉に過ぎるだろうか。
(続く)
[平成11年9月号分]
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