愛と哀しみの過大給与

 汗にまみれるのはいったい何の盛夏8月。
 暑いときは誰しも率先して働きたいとは思わないだろう。熱帯以上に蒸し暑い日本の夏では、長い夏休みをとってもおかしくないのだが、長く休むと、あぁスーパー808もついに潰れたか、とお客さんにいわれるから休めない、と主張する森喜久蔵社長である。もともと、小売業という業態から休みにくいのは事実だが、冷房のきいたお店にお客さんが一人もいないという時間が多いのであれば、曜日を選んで思い切って定休日にする方が合理的経営だろう。
「ワシと主任で交替で休むぐらいや。コンビニは休みなしでやっとるからな」
 森喜久蔵社長のやる気は夏の暑さに負けていないようである。
 しかし、事務員の林菊代は別で、8月の前半に夏休みをとって家族旅行に出掛けている。森喜久蔵社長も林菊代の夏休みを、もっとも有給休暇だが、認めないわけにはいかない。海外旅行へ行こうがどこへ行こうが、ほぉ豪勢やな、とコメントするだけなのである。
 林菊代は私大の経営学部卒の才媛で簿記も1級合格という実力をもつ。結婚してOLをやめ、子どもを保育園に入れて、自宅からもよりの駅ひとつ隣りにあるスーパー808に事務員として勤めだした。当初は、中小企業のすべての経理事務をすることに戸惑ったりしたが、森喜久蔵社長やS税理士にききながら、自分でも税務やパソコンを勉強しながら仕事を覚えていって、2回目の決算を迎える頃には一通りの経理の仕事はできるようになった。向上心も旺盛で、意欲溢れる最近の高学歴女性は伸びるのが早いのである。
「ところで、センセ、ワシの友達から聞いた話なんやけどな」
 森喜久蔵社長が煙草を一本口に咥えながら切り出した。
「女房に高い給料をはろうても税務署が認めんようになったそうやな」
「特殊関係使用人の過大給与のことですね」
「トクシュカンケイって何なんや?」
「役員の親族とか、内縁の妻とか、まぁ…」
 と一拍おいて、S税理士は森喜久蔵社長と林菊代の顔を見てから
「役員の愛人とか、その親族とか、ですね」
 つくり笑顔でそういった。ふ〜んといって頷く森喜久蔵社長。神妙な面持ちの林菊代。
「愛人か、ワシの友達もそれいうとったな」
「そうですねぇ、そんなこと税務でとやかくいうことじゃないんじゃないかって…」
「いやぁセンセ、友達がいうにはやな、愛人に簡単な仕事をやらしといて給与をだして経費化するのは合理的やって。何にせ、会社の税金を減らしながら、愛人を養うて喰わせていくんやからなぁ」
「う〜ん、そうできなくもないんですけど…」
「そういうのが悩ましい存在なんでしょうね」
 林菊代が口を挟んできたが、
「というか、ナマメカシイ存在や」
 とすかさず森喜久蔵社長が切り返した。
「アブナイ存在ですよね」
 S税理士も尻馬に乗ってそういったが、林菊代はしらけた顔をしていた。
「大きな声ではいえんことやけど、頭のエェ方法やなぁ」
「ところで、友達を引き合いにして本当は自分のことをいってるってことが割りとありますけど、社長は、違いますよね?」
 S税理士が森喜久蔵社長の顔を覗き込むようにそういうと
「あったりまえや」
 森喜久蔵社長が即答した。
 口を隠し気味にくすくすっと林菊代が笑った。
「それをいわないのが思いやり、なんでしょうけどね」
「そうや、センセ、武士の情けやで。あぁ、今日は特に暑いわ」
 といって、森喜久蔵社長がタオルで額や首の汗をふいた。
「公私混同というか、会社の私物化で会社の税金を減らしながら愛人を養って喰わせている、ということを税務上認めてはマズイということなんでしょうね」
「しかし、それでもセンセ、たとえばやな、その愛人が会社の仕事をちゃんとしとって給与をはろとったときは、どうなんや」
「その給与が過大であれば税務署が過大と認定する、ということでしょうね」
「過大ってどれぐらいの金額で過大になるんや?」
「それが………問題ですね」
「どうなんや?」
「その人の職務内容とか、会社の収益や他の社員の給与支給状況とか、同種事業で事業規模が同じ位の他の会社の使用人給与なんかと比べて、その人の仕事の対価として相当であると認められる金額を超える場合の、その超える部分の金額っていわれてますけどね」
「数字でいわれんとわからんなぁ」
「ケースバイケースなんで数字ではいえないんですよ。給与のうち不相当に高額な部分の金額っていうのは、つまり、今のケースでは愛人手当というべきもので、その金額についてはさすがに線引きできないってことなんでしょうね」
「そうか………残念やな、友達が知りたがっとったんや」
「社長も、参考にしたかったんでしょ?」
 ニヤッと笑ってS税理士がそう訊いた。
「そうや、ワシも愛人手当の世間相場っちゅうのをな、後学のために…」
「後学って…社長」
「いやぁ、アッハッハッハハハハ……いい間違いや、間違いやで。センセ、しかし、何やな、愛人はいぃ思いしてたくさん給料もらえりゃいうことないやろなぁ」
「でも、哀しいことだってきっとありますよね」
 ズバッと林菊代にそういわれて、森喜久蔵社長とS税理士は驚いて、暫し、その場が沈黙した。
「私の経験でも、ありましたね」
 S税理士がそういうと、一同爆笑して
「センセは経験豊富やな」
「先生、今のはジョークですよね」
「いやいや、これ以上は秘密にしておきましょう」
 と笑ってこたえて、こう続けた。
「税務署で否認されるのは、だいたい愛人が何もしてなくて給与をもらっているケースが多いんですね。会社の仕事をしていなければ損金性はゼロですから当然ですよね。でも、ちゃんと仕事をしていると…」
「否認できんのか?」
「じゃ、どんな仕事をしているの、という事実を確認して、それに見合う給与として高いかどうかという問題になるわけですよ」
「その相場がわからんのやな」
「現実的にはすっごい難問ですね。結局、ゼロで否認するか、全額是認するか、であって、個人的に思うには、高いという認定は極端な数字以外かなりの難しさがあるでしょうね」
「だいたい愛人かどうかって税務署がわかるんかいな」
 笑ってそういった森喜久蔵社長に同調してS税理士も笑った。
「でも、愛人って会社に必要なんですか?」
 林菊代の質問にどうこたえるべきだろうか。
 
(続く)

[平成11年8月号分]

税金小噺の目次へ戻る