キャッシュ・クラッシュ・クライシス

 開けたか開けないか判定中の梅雨寒7月。
 当節、巷間かしましく活用術が飛び交っているキャッシュフロー。物価が下がり続けているデフレ経済のもとで、何をどのように考えても、左脳も右脳もフルに稼働させても、現金の価値だけが実質的に上がり続けている状況下では、現金、即ちキャッシュがまるで拝まれるように唯一の至宝として奉られている。キャッシュを増大させることこそが経営戦略、とブチあげるコンサルタントまででてきて、逆にデフレの深刻さが証明されているといえるだろう。 
「ゲンキンがあってもともと商売ができるんであって、それに今になって気付いただけなんや。バブルの時はゲンキンがなくてもシャッキンで商売できとって、けっこうそれでうまくいっとったんでみぃんな誤解しとったわけやな。今こそ商売の原点に戻ったわけや」
 得意そうに森喜久蔵社長がそういった。
「それでウチでもラフなキャッシュフロー計算書をつくってみたんですけど……」
「林さんに組合の研修会に行ってもろたんや」
 S税理士は林菊代からA4の紙一枚のキャッシュフロー計算書を受け取った。それは前期の決算書の数字から導き出された間接法によるものだった。
「先日お電話でも少しお訊ねしましたけど、いかがでしょうか」
「そうですねぇ…」
 とこたえて、S税理士はキャッシュフロー計算書の上の方からサ〜ッと見て
「営業活動によるキャッシュフローはプラスになって、投資活動によるキャッシュフローはマイナス、財務活動でもキャッシュフローはプラス、シンプルですけど、去年のキャッシュの動き通りですね。営業活動では在庫の減少と売掛金の減少がプラス、買掛金の減少がマイナスで、減価償却費や各引当金がプラスされ、税金も減りましたから差引きでプラスになりますね。あとは、クルマを買ったり改装したりして投資活動でマイナスになり、それらの資金手当てのために借入金が増えて、最終的には期首よりも期末のキャッシュが増えた、と……いやぁわかりやすいですねぇ」
 といって褒めた。このような前向きで積極的な姿勢こそが生き残る術なのである。
「何をプラスして何をマイナスするかって、ややこしくてわかりにくかったんですけどね」
「合ってますよ、林さん。これはいいことですね。キャッシュフロー経営の推進が必要なご時世に率先して実行するなんて…」 
「ワシは、しかし、カネ繰り表の方が必要やと思うとるけどな」
「先生、どう違うんですか?」
「キャッシュフロー計算書は過去の実績について作成するんですね。決算期単位、即ち、年次でキャッシュをどのように獲得して何につかったのかって、会計科目でわかるようにつくられるわけですよ。それは、過去一年間のキャッシュフローの状況の概要を投資家に報告するためのものだからなんですね。では、資金繰りはというと、これから一年先位までの将来のキャッシュフローの計画なんですね。それによって、資金不足がいつ、なぜ起こるかを検討するものなので、なるべく具体的に細かい項目で記載した方がより役に立つといえるでしょうね。まぁ、どっちも続けることで経営上役立ちますね」
「ほれ、林さん、ワシのいうた通りや。カネ繰り表はキャッシュフロー計算書の続きやって…」
「私、全く違うっていってませんよぉ、社長。数字が確定してるしていないの差があるっていったんです」
 弁解するように林菊代がそういった。
「実績と見込みだと思えばいいんですよ」
「ですから、こっちにつながっていくんですよね」
 といって、林菊代はB4の紙にプリントされた資金繰り表を出してきた。
「え〜と、数字を見ますと…」
 S税理士はキャッシュの数字が同額で引き継がれているかどうか、ふたつの書類を見比べて
「ちゃんと引き継がれていますから、これでいいわけですね。まぁ、資金繰りは原則的に会社でつくるものですから、私がツベコベいわなくても大丈夫ですよね。今後の売上げ予定や設備投資など会社でしかわからないことですし…」
「商売柄現金入金が支払いより必ず前にありますから…」
「それに家賃収入もあって、毎月キチッとはいってきますし、社長、資金繰りが窮屈になることはないでしょ」
「油断は禁物や、売上げが維持できるか見通しが立たんからなぁ」
「予想値と実績値の差異が大きければ、すぐに翌月以降の資金繰り表を修正して対策を打てばいいんですよ」
「窮屈になったら、銀行から借りればすぐ解決するんでしょうけど…」
「そりゃ林さん、銀行が貸してくれたら、という話やからアテにしたらいかんわ」
「そうですよね、悪口になりますが、銀行の融資態度は『晴れてるときに傘を貸す』といわれてましてね。傘っていうのがカネのことなんですよ。つまり、会社の業績が良くてカネまわりがいいときにカネを貸すんであって、カネに困っているときには貸さないってことなんですよ」
「世の中そういうモンや。やっぱり自分のゲンキンで商売せんといかんっちゅうことや」
「やっぱり生き残るためなんですかねぇ」
「んッ、林さん、よぉわかってきたやないか」
 膝を叩いてそういった森喜久蔵社長が、煙草を一本くわえて
「ワシの影響かな、えぇことや、自覚してくれとるとな」
 と満足そうにいって、煙草に火をつけた。
 林菊代はいやそうに苦笑いして
「先生もよくいってますよね」
「え? まぁそうですね。中小企業のオーナー社長は投資家であり、経営者でもあるから、生き残るためには過去と近未来のキャッシュフローから目を離せないんですよ」
 そやそや、と呟いて森喜久蔵社長が頷いた。
「納税も会社存続のためのキャッシュフローのほんの一部に過ぎないんですよ」
「一部なのに悩ましい存在なんですね」
「林さんとおんなじや」
 えッと林菊代とS税理士が同時に声をあげ、
「社長、それ…」
「センセ、冗談や。キャッシュフローがわかるんで悩ましいんやないかと思うただけや」
「はぁ……、ま、ともかく、利益は相対的な事実であり、キャッシュは絶対的な事実といわれてますから…」
「それって哲学的ですねぇ。先生」
「そうやなぁ。ワシにいわせると、キャッシュフローとカネ繰りはエンドレスの一筆書きみたいなもんや。一本の線を延々と辿っていって、線が太くなっても細くなっても延々と続くんや。切れたり、行止まりになって一筆書きができんようになったらオワリや。ただ、この欠点は一筆書きの線を引き続けている本人には、どんな絵が描かれとるか皆目わからんことや」
 それが迷宮の絵でないことを祈りたいものである。
 
(続く)

[平成11年7月号分]

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