引き当てたカネはどこにある?
青葉を揺らすさわやか涼風で一息5月。
先々月、まるで天から降ってきたように、ごく一部の国民だけに配られた地域振興券。使える地域が限られているので、経済効果はいかほどのものかと疑問を持たれたり、元禄時代の生類憐れみの令と同レべルの愚策と揶揄されたりしたが、スーパー808では先月かなりの枚数の地域振興券が集まった。
「地域振興券なんか焼け石に水やと思っとったけど、売上げの落ち込みを防ぐ効果はあったようやで。ないよりマシ以上の効果かもしれんなぁ」
めずらしく森喜久蔵社長の口調は軽やかである。
「センセももらったんやろ。帰りにウチで子どもさんにお菓子でも買うてってや」
「社長、商売熱心ですね」
「こんなときだけや。センセ、大目に見てや」
「先生、私も何枚か使ったんですよ」
にっこり笑った林菊代がそういった。
「林さんはイィ〜人や」
イィ〜に力のはいった森喜久蔵社長の声に、思わず林菊代もS税理士も吹きだした。
「でも結局使える範囲が市内だけなんで、生活必需品を買うのに使っちゃうしかないんですよね、先生はどうですか?」
「そうですねぇ…、子どもの自転車とか…」
「子どもの自転車は置いとらんな。そぉか、それがほしいお客さんもいるかもしれんなぁ。仕入れてみようかな」
「社長、申し訳ないんですが、ウチは他所で買っちゃったんで…」
「何や、そんなら仕入れはやめとこか」
「いやいや、子どもの自転車がほしいお客さんが他にもいるかもしれませんよ」
「林さんとこは?」
「子どもの洋服とかスニーカーとか買っちゃいましたから、もう殆ど残っていないですね」
「そぉか、もう手遅れか………、やっぱり先月だけの一時的な追い風やったかな」
「吹かれたそのときだけ涼しい一過性の風みたいなモンですかねぇ」
「そうやなぁ、でも印刷が見劣りしてもあれで現金とおんなじモンやし…」
森喜久蔵社長が余所事のようにそういった。
「先生、地域振興券って国からの臨時賞与みたいなモンですかね?」
そう嬉しそうにいった林菊代の顔を森喜久蔵社長がチラッと見て
「ワシはもらえんかったんやけどなぁ」
と不満そうにいった。
「いやぁ林さん、減税の一部だって思った方がいいですよ」
「そぉや、そぉやないと経営者は会社で今度払う賞与の分から地域振興券分を減らそうかなと思うわな」
えぇッと驚いて、林菊代は口に手をあてた。ヤブヘビ発言だったのである。
「じゃ、賞与は生活用かご褒美か、いい換えれば生活給か業績給か、どっちだと思いますか?」
S税理士は話題を変えようと思ってそういった。森喜久蔵社長も林菊代も、えっ、と一瞬言葉につまったが、
「林さん、どう思いますか?」
「え? そうですね……、どっちかというと生活給かな」
「社長は?」
「ワシも今までは生活給やと思っとったけど、業績によって本当は出すモンなんやと最近は思うようになったな」
二人とも真面目な顔でそうこたえた。
「まぁ、中小企業ではどちらかといえば生活給の意味合いが強かったんでしょうが、世の中ではだんだん業績によって賞与が左右されるものだと思われてきたようですね。それで、これまでは法人で毎年必ず出るものだということで賞与引当金が認められていたわけですが…」
「去年の改正で廃止になったんですよね」
「そうなんですね。法人税法でよく馴染んできた規定で代表的なものが賞与引当金だと思うんですが、それは当期の期間に対応する従業員賞与のうち、支給期日が未到来分の見積額で労務提供対応額を認めようとしてくれていたんですが…」
「なくなったんで会社には不利になったということなんでしょ、先生」
「林さん、それは賞与支給というものの考え方が従来通りだったら、ということですよね」
「あぁそうか、そういうことや、ワシのいうたことなんやな、センセのいいたいことは」
林菊代はきょとんとした顔をしていた。
「つまり、賞与が必ず出るモンやないというふうに世の中が変わってきとるということや」
「一気にそう変わるんじゃなくて、現在の不況が後押ししているような感じで…」
「えぇ〜、そうなんですかぁ。ショックだわぁ」
あけすけに林菊代がそういった。
「いきなりゼロっていうわけにはいかんやろけどな」
「偏見ですが、賞与引当金はインフレ的な発想で税法上認められたものという感じがしますね。毎年賞与が右肩上がりで増えていってそれにスライドして計上される費用が増えていくという…」
「費用っちゅうても賞与の百%落とせるわけやないしな」
腕組みをして森喜久蔵社長がそうこたえた。
「ウチも支給対象期間基準で毎期設定してますけど、その繰入額は実際支給額の数分の一に過ぎない金額ですよね」
「そうやな、ないよりマシっちゅう程度や」
「ところが、現在のデフレ時代に廃止を率直に受け入れて、経過措置を敢えてつかわずに賞与引当金の繰入れをしないで、戻入益だけ経理することにして、結果的に流行の益出し経理の大きな効果をだす方法のひとつになったりしているんですね。廃止が皮肉な結果をもたらすことになったわけなんですよ」
「ワシが思うにはやな、だいたい賞与引当金なんて帳簿上の数字で、それ用のカネはだいたいどこに引き当ててあるんや、ようわからんやないか」
「いま流行のキャッシュフローで見るなら、賞与引当金は将来の現金流出を捉えるもので、損益計算上のものなので、社長のいう資金繰り上考慮すべきものではないわけですね」
「カネ繰りで誤解してしもうわな」
「資金繰りに取り込むんなら、賞与そのものの見積額を月割りで算出して、その金額を賞与引当預金として毎月現金を積んでいく、この方法がまず考えられますよね。こうするとキャッシュフロー的な動きになるでしょうし」
「そんな工夫ができるほどカネ繰りに余裕がありゃえぇけどな。なぁ林さん」
「えっ、えぇ……」
と正気に返ったように林菊代が返事をした。
「ま、ウチも今年は繰入れなしで戻入れだけにすることになるわな。センセ、えぇやろ?」
「社長の決断ですから…」
「しかし、賞与引当金っちゅうカネの裏付けのない帳簿上の数字が、カネを用意せんでも必要なときに利益をだすのに役に立ったわけやから、改正も無駄やなかったっちゅうわけやなぁ」
といって、ガハハハハ〜といくらか笑う余裕のできた森喜久蔵社長だった。
この余裕の笑いがいつまでもつのかわからないが、明日は明日の風が吹くのである。
(続く)
[平成11年5月号分]
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