貸倒れ天国と寄附金地獄

 神もカネもない、ナイナイ尽しの10月。
 神頼みでは何も進まず、解決もしないのが商売である。商売は現実そのものであり、自ら選択した人生そのものでもある、というのが森喜久蔵社長の昔っからの持論だった。神様は困った時の心の支えであるが、神様に頼って人生における重要な決定を左右させることはしないという。
 そのように責任感と意志の強い森喜久蔵社長から、珍しく電話での相談事があった。親しい友人がやっている問屋が貸倒れを喰らったので、いくらか応援してやりたい、というものだった。応援というのは、実際、資金を貸すか、親しい友人の会社の商品、事務用品と雑貨をいつもより多く現金で買ってやるかのいずれかだった。検討の結果、友情を壊さないために後者になったのだが、神妙な面持ちの森喜久蔵社長は
「様子を見てまた考えるわ。センセ、貸倒れっちゅうのはキツイわなぁ。仕入代金を払わんわけにいかんし、集金1ケ月後で90日手形やと、結局4ケ月分の売掛けが回収不能でやられるんや。不況の世の中でこりぁ大変なことやで」
 とさらなる追加の応援策をいいだしかねない様子だった。
「ウチも3ヶ月分位仕入れて、文房具屋さんみたいにワゴンセールやるんですよ」
 可笑しそうに林菊代がそういった。
「困ったときはお互いさまなんや、林さん」
 そうこたえた森喜久蔵社長の口調は言い訳気味である。
「まぁ、社長のお気持ちでいいじゃないですか。最近、貸倒れの相談も多いんですよね」
「そぉやろ、こ〜んな時代やさかい」
 CMの口調を真似た森喜久蔵社長に、プッと林菊代が吹きだした。
「そういえばこんな実例がありましたね。簡単に要点だけいうと、こんな話なんです。登場するのは、メーカーの同族親会社、そのオーナー個人、問屋の子会社の三者で、問屋の子会社の業績が悪化し、その回復のメドが立たないという状態になったんですよ。同族親会社には問屋の子会社への売掛金、オーナー個人には問屋の子会社への貸付金がありまして、問屋の子会社は、すったもんだの挙げ句、新たに設立した同一商号の新問屋へ営業譲渡をしたうえで、解散して清算することにしたんですね。同族親会社では問屋の子会社への売掛金を放棄して、もちろんそれには理屈があって、その理屈というのは、問屋の子会社を通じて大口の取引先を失う恐れがある、というもので、問屋の子会社に対する債権を放棄しなければ、今後より大きな損失を蒙ることになることが社会通念上明らかであると認められるケースに該当すると考えたんですね。そこで、知恵を絞ったんでしょうが、売掛金の放棄の前に問屋の子会社へのオーナー個人の貸付金の一部を同族親会社の貸付金に肩代わりさせるという行為を実行し、オーナー個人は問屋の子会社への債権放棄を、同族親会社が税金を減らすことのできる貸倒れになる債権放棄として、結果的に利用したんですよ」
「ふ〜ん。子会社がうまくいかんようになって、じたばたしてカネ繰りもキツ〜なってやな、税金をうまく減らそうと思うてそんな悪知恵をひねりだしたんやろ」
「先生、個人の貸倒れってダメなんですか?」
「オーナー個人の貸付金の貸倒れは、事業所得じゃないんで税務上は事業主貸になるわけですから、ただ単にソンするだけなんですね。でも、法人の貸付金だと、貸倒れで税金が減らせると思って、同族親会社に貸付金の肩代わりをさせたんでしょ。しかしながら、そこには作為的なものが、下心や思惑が見え隠れしていて、実行するとオーナーの債権回収と同族親会社の節税で、一粒で二度おいしいという行為になりますよね。結果的にオーナーと同族親会社がトクをして、税務署だけがソンをする。では、事実関係はどうかということでよ〜く調べてみると、その行為をしなければ同族親会社は経営危機に陥っていた、ということではなかったんですね。これは許せない、と税務署は同族親会社の貸倒れを寄附金として認定し、更正処分をしたんですよ」
「寄附金って、どうなるんですか?」
「林さん、別表四に寄附金の損金不算入の一行があったでしょ。そこに数字がはいって所得加算されて課税されるわけですよ」
「その数字の半分がドカンッと追加の税金になるわけやな、キッツイでぇ」
「貸倒れだと費用のままなんですね?」
「そうですね。仮定の話ですけど、債権放棄による貸倒れがそのまま是認されれば税金が減って、つまり、貸倒れ金額×約50%のキャッシュが残るということです。しかし、実質的に貸倒れではないと否認されて寄附金認定されたときは、既に寄附金の限度額を使っていたと仮定すると、逆に、貸倒れ金額×約50%の税金が増えて、キャッシュがその分減るということなんですよ。この差は大きいですね。約50%のキャッシュが残るのと減るのとでは大違いで、経営に与える影響は…」
「天国と地獄の差やなぁ」
 森喜久蔵社長の口調は何故か悔しそうだった。
「それに延滞税もかかっちゃうんでしょ?」
「林さん、その通り。恐らく加算税もかかるでしょうね」
「被害甚大って感じですね」
 溜息まじりに林菊代がそういった。
「まぁ第三者的な見方をすれば、貸倒れを是認することは、その法人に対して税金を減らすことで国が経営上の援助をしているような感じになって、反対に、貸倒れを否認することは、その法人に対して経営上の失敗をあくまでも自己責任としてリスク負担せよ、といっているような感じですよね」
「会社と税務署の話のどっちに分があるかって決めるのは、センセ、難しいんやないか」
「先生、それって前から見るかうしろから見るかの違いじゃないですか。天国と地獄って背中合わせって…」
「今回のケースでは、貸倒れ処理をして複数の当事者と税務署のうち、誰かが、抜け駆け的な経済的利益、即ち、トクをするものがいないかどうかチェックしてみたら、いた、それは許さないよ、ということなんですね。その判断基準として、親会社の社会的道義的責任や自らの危機回避のための相当な理由とか、経済性を考慮した自然で合理的な行為であるかどうか、さらに突っ込んでいうと、貸倒れの金額や社会的な影響も判断要素にはいる…」
「そこまで深く税務署が考えてくれとるかなぁ。最近の新聞を読んどると、ワシには大物を救って小物は自己責任って感じがするわな」
「子会社の業績不振が経済的な状況変化で自然発生して、自力では打開できなくて自然淘汰されて消滅する。そうして消滅に伴って貸倒れが発生する、こういうのは認めざるを得ないでしょうね。でも、自力で何とか打開しようといろんなことをすると、やむを得ずしたことが不自然だとか作為的だとか見られたりして…」
「不自然でも生き残るためにしたことかも知れんしな。大企業のやっとることもこのケースと五十歩百歩やないか」
 三人とも口を閉ざして、場が沈黙した。
「何となく不公平な感じがしますね………」
 これはいったいに誰の声に聞こえるだろうか。
 
(続く)

[平成11年10月号分]

    
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