バケてタタって何が出た?
実りの秋に実るものがあるのだろうか?
先月の税務調査では、調査官が二日目の最後に訊ねてきた狙いすましたような一言で、激しく紛糾することになってしまった。
「スズキ豆腐店からの仕入れって、請求書とか領収証とかないんですか?」
この質問に林菊代の表情が一瞬のうちに曇り、返答ができなくなってしまった。
「ん? 何や、スズキの爺さんからの仕入れのことかいな」
その様子を見た森喜久蔵社長が代わりにそうこたえた。
「スズキの爺さんからの仕入れには請求書なんかないな。現金で払って、豆腐、厚揚げ、油揚げをワシが引き取ってくるだけやしな。帳簿には載っとるで、なぁ林さん」
「はい、仕入れでコンピュータ入力してます」
これはちょっと痛いところを突かれた、とS税理士は思った。
スズキ豆腐店からの仕入れは、週に3〜4回、近所ということもあり、森喜久蔵社長が現金払いで自ら仕入れに行っている。一回の仕入れが2万数千円から3万数千円くらいの金額で、これが微妙な金額なのである。税込金額3万円未満の課税仕入れの場合は請求書等の保存は不要で、法定事項が記載された帳簿の保存のみでよいことになっている。
しかし、スズキの爺さんからの仕入れについては、金額にかかわらず、スズキの爺さんの手による請求書等はただの一枚もない。帳簿以外には、せいぜい、社長の手帳に書き込まれたメモがあるだけだった。
この仕入れは頻繁に出てくるので、金額が小さいのだが、調査官も請求書領収書綴りと突き合わせていって、それらがないと気がついたのだろう。地道な調査の成果である。
「どうしてないんですか?」
「じゃ、ちょっと事情を説明しとこか。スズキの爺さんはいま82歳や、82歳の爺さんが毎日朝4時に起きて豆腐厚揚げ油揚げを作っとるんや。これがうまいんやで、最高の味や。ウチの店ではやや高めの売値なんやけどいっつも売り切れやで。あの味をだせるっちゅうのは職人芸でまぁ人間国宝みたいなもんや。あの爺さんが死んだらこのうまい豆腐も終わりやな。跡継ぎがおらんしな。何かすっごく大事なものをみすみすなくしてしまうって感じで残念で仕方ないなぁ。で、何やったかな、請求書の話やったな。スズキの爺さんひとりでやっとるからそういう事務はできんのやな。作るのが専門やしな」
実際、スーパー808にはスズキ豆腐店からの仕入れについては、請求書も領収書も何もなく、会社の帳簿にはキチンとした記載があるので、9年改正前までは問題なかったのだが………。
「請求書等がないと仕入税額控除はダメですね」
調査官があっさりといった。
「いやいや、ちょっと待って。社長、こっちで作った仕入明細にサインしてもらったものでもいいんですが、ありませんか?」
S税理士が割ってはいってそう訊いた。
「こっちで仕入明細を作ってサインしてもらおうにも、この爺さん、字が書けん! 尋常小学校しか出とらんし、気の毒なことに利き腕の右手が少し不自由でエンピツが持てないんや。それに、豆腐厚揚げ油揚げを作ったりしとる最中にサインなんか頼めんわい」
「これはやむを得ない理由に該当するんじゃないかな」
とS税理士は森喜久蔵社長の発言を擁護するつもりでいった。。
「それはやむを得ない理由っていえますかねぇ。会社側で要求してないんですから…」
調査官は即座に反論した。
「スズキの爺さんのとこの住所も電話番号もわかっとるよ。ただ、いまぐらいの時間は昼寝しとるから連絡はダメやけどな。何なら、クルマで5分くらいのとこにあるからスズキの爺さんの店を見に行ってみるか」
森喜久蔵社長の誘いに、調査官は首を横に振って
「これだけ多くの回数でどれだけ捜しても領収証も仕入明細書にしてもないんですから、消費税は修正してもらいたいですね」
と早口でズバッといった。
「アンタなぁ、そんなものがない仕入れは世の中にまだまだあるでぇ」
「でも、ないのは事実ですから…」
「ワシがウソついとるとでもいうんかッ!」
森喜久蔵社長が怒鳴った。森喜久蔵社長が切れたのである。
堰を切ったように社長の口から猛烈な勢いで出たのは、税務署や他の役所や政治家に至るまでの悪口雑言だった。さらに、罵詈讒謗と思えるくらいの、容赦のない言葉を捲し立てて調査官に浴びせたのである。
もし、修正申告に応じるとすれば9年の4月から12月までの9カ月分を累積して、消費税にして十何万円くらいにバケるだろうか。仕入れをしたという事実は認められるのだから、仕入れとしての会計処理は問題なくOKなのである。
しかしながら、森喜久蔵社長のいうように現実の商取引は税法で網羅されている規定の範囲内ですべての手続きが行なわれている、とはいいきれないのである。そこをどう捉えて対応すべきなのだろうか。
仕入税額控除についての最近の判例では、仮名仕入取引に係る消費税の仕入税額控除は認められない、というものがあった。しかしながら、仮名仕入れになったことについての事業者の主観的・個別的事情が考慮されるのかどうかについては明らかにされなかった。このケースでは、事業者が意図的に仕入先の真実の氏名・名称を確認しようとしないで、わざと確認しないままにしていたフシがあったので、ダメだったのだろう。
また、他の判例では、税務調査で帳簿の提示要求をされたにも関わらず、納税者はこれに応じず、調査に協力しなかった。そこで、帳簿不提示を『帳簿又は請求書等を保存しない場合』に該当するとして、仕入税額控除を認めなかったのである。この課税庁の処分に、判決では、正当な理由なく帳簿の提示に応じない場合も『保存しない場合』に含まれると解するのが相当である、とされた。
どちらの判例についても、共通するのは納税者側の隠そう、見せないでおこうという悪意と秘匿の意志である。それがある限り、どう贔屓目に見ても納税者側に非があるといわざるを得ない。
森喜久蔵社長にはそのような悪意も秘匿の意志も何もない。スズキの爺さんの仕入れについては、これからでも請求書等のいずれかを作るという方向で話が進められた。
いわゆる『後出し』になるようだが、それでコトは根本的に解決するのだろうか?
聞くところによると、最近の国税庁の方針として、帳簿及び請求書等の不揃いについては、悪質・大量のものには仕入税額控除の否認を行うが、うっかりしていて、少量の不備があったくらいであれば、直ちに否認せず、指導により、今後の是正を求める、という方針だそうである。
実務上、この『是正』にはまだまだ時間がかかりそうである。
(続く)
[平成10年10月号分]
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