時価ほど怖いものはない!?

「ペイオフ解禁日を憶えていますか?」
 そう訊かれて答えられる人はどれだけいるだろうか。その日以降の払い戻し保証額は二段階で変わることになっている。その内容まで正確にわかっているか、と訊ねられると、こころもとない人が大多数で、きちんと答えられる人はグッと減るのではないだろうか。
 事の重大さに気付くことがある。悲しいかな、それは事が起きてから初めてわかった、というものである。既にすっかり手遅れで、重大な事態を招いてしまった状況の真っ只中に立たされるのだ。そこから先の解決、未解決、もしくは停滞、下降、破綻などの進路は不明だが、事が起きる前に自らのない知恵を絞って予測するしか事前防止はできないだろう。しかしながら、皮肉にも、当節、予測できないことが起こるのが世の常なのである。
 時価がいくらなのかということがわかることも、事の重大さに気付くことと通じているだろう。デフレ環境下で、所有資産の時価がわかって、身体に変調をきたす。その変調とは、青くなったり、寒くなったり、目の前が暗くなったり………。
 時価が注目されている。財務会計の世界では、特に時価評価額を基本ベースに財務諸表を作ろうとしている。その是非はともかく、大きなトレンドとなっていることは間違いなく、税務もまたそれを追いかけざるを得ないのである。
「前期の評価損の洗い替えをしなくっていいなんてな〜んかトクしたって感じっすねぇ」
決算業務を終え、あとは株主総会用の資料をつくるだけになった苅口経理主任が、にこやかにそういった。
去年、有価証券の評価方法が改正され、今年の3月決算より実務的に取り扱われる。苅口経理主任の発言根拠は、売買目的でない上場株式について、低価法が廃止され、平成13年3月決算会社で当期末に低価法による洗い替えをする必要がなくなったので、前期平成12年3月期の評価損の取戻し益を計上しなくてもよい、というものである。
「コ〜ロコロ取扱い規定が変わるんじゃ憶えきれないですよねぇ」
綾口優子総務部長の声も、決算の数字が決まって安心した響きに聞こえる。
「有価証券の評価方法については切り離し低価法が過去に廃止されて、そのあと短期間で低価法じたいが廃止されましたからね」
「あ、それで、洗い替えそのものがなくなったんですね」
「そのために、取得価額は施行令の附則7条で、改正事業年度の直前事業年度の低価法での評価額で取得したものとみなす、ということになったんですよ」
「変化が早いですよね」
「IT革命に負けないくらい会計基準の変化はめざましくって、時価ベースで考えるということで、時価会計に向かって劇的に変貌を遂げようとしていますよね」
「苅口経理主任は、その辺、詳しそうだね」
 S税理士がからかうようにそういった。
「最近雑誌で情報収集したんですよ」
笑いをかみ殺しながら綾口優子総務部長がそういうと
「インターネットでウラも取りましたから間違いないっすよ」
胸を張って苅口経理主任がそうこたえた。
「実はそれで、先生、ウチに上場株以外の有価証券があるの、ご存知ですよね?」
「えぇ、まぁ…」
「もし、時価会計になったらどう変わるのかって時価評価額を調べてみたんですよ」
「それって僕がいったんじゃなくって社長の指示なんですよ」
苅口経理主任のバラシ発言に顔を顰めた綾口総務部長が
「彼の調査結果を聞いて、がっかりしちゃいましたよ」
「額面割れなんで、・・・ガックリなんですよ」
「はぁ……」
「駄洒落で済む話じゃないんですけどね」
「確か証券投資信託の受益証券でしたよね」
「あれっていろんなタイプがあって、素人にはちんぷんかんぷんで自分じゃ時価評価ができないんですね。買った証券会社に聞かないと評価方法も評価額もわからないんです」
「相手の言い値って感じなんですね」 
黙って頷いて、溜息をついた。
「全部僕が調べたんですけど、時価評価額のシンプルな一例をあげると、基準価額×所有口数で計算するんですよ。でも、基準価額がこっちではわかんないんで、証券会社で調べてもらうんですけど、セカンダリーって流通市場の取引価格で決まるそうですね。で、だいたい一口単価1万円のものが多くって、額面割れになると解約手数料と税金がかからないそうです。まぁ、額面割れで積極的に売る人もいないからだと思いますけど…」
「リスクヘッジはしてなかったの?」
「リスクヘッジのつもりで、それぞれ100万円くらいのもので、いろんなタイプの債券を選んで種類を多くしてあったんですけどね」
「円建て外債とか、外貨建て債券とか、いろんなものがあって僕には中身が全然わかんないものでしたよ。何故かわかんないんですけど、外貨建て債券と円建て外債の経過利息の計算は一年365日ではなく、一ヶ月30日、つまり一年360日で日割り計算するってのが新しい発見でした」
「で、リスクは回避できたのかな?」
「い〜え、み〜んな額面割れで全滅でした。ですからリスクヘッジじゃなくってリスクそのものになっちゃったんですね」
「はぁ……、笑えない話だね。確かに」
「この人、他人事だと思ってはっきりいうのよね。いつものことだけど…」
「でも部長、全面的に時価会計になって評価減計上できれば節税効果もあるんじゃないんですか?」
「税法は、まだそこまで追いついていないね」
「違うのよ、見方が。それだけ時価評価額が下がっているということは、金銭的にはソンしているんだから決して喜べないことなのよ。それに影響はそれだけじゃないのよ」
「はぁ〜!?」
そういった苅口経理主任の顔が一気に曇った。
「税金が減ることだけ見ちゃいけないのよ。マネジメントはB/Sの内容でジャッヂされるんだから、これからはすべての人たちに会社の財務情報が公開されるってことを念頭において、私たちは対応しなきゃいけないの。わかる?」
「はぁ………そうなんですね、わかりました」
小さな声でそういって、苅口経理主任はシュンとして沈み込んだ。
S税理士は黙って拍手をしただけである。
 ……………ところで。
「ペイオフの支払保証内容は思いだせましたか?」

(続く)

[平成13年6月号]

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