マニュアル通りにならないよ

 ロボットは今世紀の人類を救うのか?
 21世紀、近々実用化されそうなビッグな発明品はロボットだろう。勝ち組企業で開発能力の高いジャパニーズメーカーは次々とプロトタイプを発表している。既に、商品化された癒しのペットロボットもある。もはや、夢ではなく、現実的に出現が確実視されている。
 ロボットはプログラム通りに動く。間違いなく、人間が指示したことを忠実に実行するだろう。それは、マニュアル通りに動くことと近似である。
 正確に、寸分違わず、完璧に…………
「決算も、僕の指示通りに手っ取り早くやってくれるロボットがいればいいなぁ」
 これから決算業務に追われることになる苅口経理主任の発言である。横で呆れ顔の綾口優子総務部長をちらっと見て
「そんなロボットがいたら僕の仕事がなくなっちゃうから、やっぱ、いない方がいいか」
 慌ててそういって打ち消した。
 デジタル商事は土地の売却益があるため、今期1億円以上利益が出ている。税効果会計二年目、前期計上した繰越欠損金に対する繰延税金資産はすべて回収される見込みである。これで、来期の予算から推定して、現在わかっている将来減算一時差異の全額に対して繰延税金資産が計上できる。税効果会計が正常化したという感じで、ひとまず、これで安心である。
「ほ〜んと、おかげさまで」
 綾口優子総務部長もにこやかである。
「ところで先生、先日のメールの件はいかがですか?」
そういった苅口経理主任のメールの内容とはこうである。
 税効果会計の会計処理の質問。
 税引き前当期利益がマイナス。別表四での所得計算で加算されるものが多くて課税所得が生じ、納付税額も生じるというケース。
 仮に、数字を当てはめてみると、税引き前当期利益が△800、別表四加算1000、同じく減算が100、そこで加減算して課税所得100、税金が45、別表四加算1000のうち、将来減算一時差異が900あったとき、繰延税金資産は900×42%で378。これは、今期の納税額45を上回る数字になる。このまま、借方、繰延税金資産、貸方、法人税等調整額で仕訳を入れると、税引き前当期利益より当期利益が増えてしまうというヘンテコリンな結果になってしまう。
 つまり、法人税等調整額で仕訳を入れると、差引き法人税住民税及び事業税がプラス333になり、当期利益も△467。だいたい、法人税住民税及び事業税がマイナスではなくてプラスの数字になるなんてアリ、ですか? そんな財務諸表つくっていいんでしょうか?
 最後の部分が苅口経理主任らしい文面だが、それはさておき、一見混乱を招くような難問である。
「友達から質問されちゃって、こんがらがっちゃったんですよね。こんなケースってマニュアル本にもないみたいだし。友達も本屋で立ち読みして調べたらしいんですけど、載ってるものはなかったらしいんですよ」
「なるほど、調べる努力はしたんだね」
「結果がでなかったんです」
「このままやっちゃって、こんなに赤字を減らしていいんだろうかって顔が熱くなって、心臓がドキドキしちゃったらしいんですよ」
「あとで間違いの責任をとらされるって考えなかったの?」
 綾口部長が冷静にそう訊ねた。
「はぁ、上司がやさしい人らしくって……、いえ、その、えっと……」
 失言に気付いて慌てふためく苅口経理主任。
「ヤブヘビ発言だね、ヘビ年らしく」
 笑いながらそういったS税理士。
「相変わらずよね、あなたって…」
 またまた呆れ顔の綾口部長である。 
「マニュアル本にはこんな事例がないだろうけど、税効果会計の原理原則で考えてみればいいんじゃないのかな」
「原理原則って何でしたっけ?」
「思いだしてみて」
「え〜と………」
「そもそも覚えてないんじゃないの?」
綾口部長にからかわれて、ムッとなった苅口経理主任。
「繰延税金資産は税金の前払いである」
「かつ」
「えっ? まだですか、え〜と…」
「回収可能性を考慮して計上する、これが大事だっておっしゃってましたよねぇ、先生」
 得意げにそうこたえた綾口部長。露骨に悔しがる苅口経理主任。
「さすが部長。その通りです。そして、課税所得がマイナスになる場合は適用外なんですね。それらの重要ポイントから考えていけば、結論が見えてきませんか?」
「う〜ん」
「なかなかねぇ……」
「じゃ、私の個人的見解を申しあげましょう。つまりですね。これらの重要ポイントから考えれば、将来減算一時差異×42%で算定された金額が今期の納税額を超過するので、払わない税金は将来回収できないことから、それがすべて繰延税金資産にはなり得ない。そこで、今期の課税所得に対する税金が回収可能性の上限にならざるを得ず、従って、住民税の均等割額を除いた今期の納税額が繰延税金資産計上の上限金額になる。計上額をいくらにするかは次のステップで検討することになるんでしょうね」
「な〜るほど〜、さすが先生、マニュアル以外のこともわかるんですね〜」
「まだまだ、マニュアル仕掛けのロボットには負けられませんからねぇ。でも、これ、合ってるかな?」
 照れ笑いをしながらS税理士がそういった。
 ………脅かすわけではないが、現実社会はある意味で伏魔殿である。予想もつかない、想像すらできない様々な出来事が起きている。それらを経験して、今日の我々が生きている。マクロの視野で見ると、イケイケドンドンのアワ踊り的バブル景気を経て、急転直下のバブル崩壊からデフレと不況の同時進行、にもかかわらず、貧富の差は着実についているというアンバランス経済が進行し、未解決事象を引き摺ったまま、閉塞状況を打開する策が何ら見出せないという迷宮社会のなかに生きているのである。
 また、ミクロの視野で見ると、仕事でテキストやマニュアルにないモンダイに、たまたまのようでもかなりの頻度で、遭遇する。そういう事態に直面しても、慌てふためいてはいけない。むしろ、そのような事例が多いのが、我々の最近の実務である。心して臨むと共に、幾度も出現するハラハラドキドキに耐え得る“心臓”をも鍛えておかないと仕事を続けていけないのかもしれない。
やれやれ、である。

(続く)

[平成13年3月号]

(後日談 : しかしながら、繰延税金資産を計上するかどうかについては、監査上、あくまでもその回収可能性により、判断されるものです。それは、会社の収益力により判断されますので、近未来的な収益実現性によっては、本文にある『税引き前当期利益より当期利益が増えてしまうというヘンテコリンな結果』も全くあり得ない話ではないでしょう。一見、ヘンテコリンだと見えても、それがごく普通の結果だということも充分起こり得る世の中なのですね。平成14年5月)

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