まず、リタイアメントより始めよ

 ジュピターへ未だ行けない2001年。
 謎の黒いモノリス(石板)に導かれるように木星(ジュピター)へと旅立った人類。しかし、そこに待っていたものは、信頼すべきコンピュ−タ・ハルの叛乱と神の仕業としか思えない超現実的な事象だった。それは、SF小説の金字塔といわれる『2001年宇宙の旅』に描かれたメタフィジカルな世界である。
 事実は小説よりも奇なり、といわれるが、進歩成長著しい今日でもSF小説の世界にはかなわない。まだまだ現実の世界の方が立ち遅れていて、泥臭くて、神がかり的なことなど全く起きそうにない。ロマンティックという形容からは程遠いのである。
 ともあれ、21世紀になった。
 21世紀が始まった今を生きる人たちにとっては、できれば、仕事もプライベートも新鮮なものばかりに囲まれて、心機一転、新しいビジネスや生活を始めたい心境だろう。しかし、ビシッと区切りをつけて、始めるべきものを始め、終わらせるべきものを終わらせるのはなかなか難しい。しばらくは両者が混在する過渡期が続くと予想される。勝負は、両者の見極めができるかということと、両者に適応できるかということにかかっているのである。
 税効果会計、連結決算、年金会計、時価会計、さらに税務では、連結納税、電子申告、外形標準課税………、当業界内で有名な新機軸をアトランダムに挙げてみただけでもこれだけある。それらが次々と実施されていって、さて、当業界においては夢も希望もロマンもある21世紀になるだろうか。
 ところで、デジタル商事では、年頭に衝撃が走った。創業者である出川与三朗会長が経営の現場から引退する、と宣言したのである。今年の、できるだけ早い時期に代取も平取も降りて非常勤の相談役になるといったのである。出川会長は今年数え年で喜寿を迎える。これを機に隠居したい、ここらが潮時、後進に道を譲りたい、とのことらしい。会社の経営内容を見ると、リストラも終え、今期は経常利益が出る見通しも立ち、土地の売却益で繰越損失も埋められることも確定した。過去の忌まわしい遺物、即ち、不良債権を全部片付けて、単年度で経常利益が出る経営体質になったということで、ここが引き際と見極めたのだろうか。
そこで、降って湧いたように緊急課題となったのが会長引退に伴う役員退職金である。
「適正な金額以上の役員退職金は税務署から否認されるっていいますけど、適正な金額ってどう判断すればいいんでしょう?」
21世紀最初の斬り込みをしたのは綾口優子総務部長である。
「先生からいただいた資料によると、『会社の業務に従事した期間、その退職の事情、同種の事業を営む法人でその事業規模が類似するものの役員に対する退職給与の支給状況等に照らし、退職する会長に対する退職給与として相当であると認められる金額である場合には、過大役員退職給与とはされない』とありますが、よくわかりませんよねぇ、この文言。要するに、人並み世間並みの金額にしておきなさいよっていってるんでしょ。ホ〜ント、大きなお世話ですよねぇ、キャッシュを払うのは会社なのに、払い過ぎだってどうしておカネを出さない外野から口出しされなきゃいけないんでしょう」
 一気に捲くし立てた綾口総務部長の発言内容は、多くの納税者の疑問である。この舌鋒の鋭さは、真正面からの袈裟斬りのようである。
「僕にもわかんないんですよねぇ。相当であると認められる金額って払う側で判断するものだって思いますけどね」
 尻馬に乗ったのは苅口経理主任である。
「金額については、不相当に高額な部分の金額、というのは不確定概念で、それが具体的にいくらだったらそうなるのか、納税者には全くわからない………」
「先生のおっしゃることも不確定ですね」
「まぁ、同種類似法人の役員退職金を参考にして決めよっていうのも無理難題ですよね」
「ということは、先生も相談されちゃ困るっていうことなんですね」
 苅口経理主任が上目遣いでそういった。
「社会通念とか、常識で判断するしかないでしょうね」
 苦笑いしながらS税理士がそういって
「これも、不確定、曖昧ですよね」
「一番ポピュラーな算定方法は、最終適正役員報酬月額×勤続年数×比較法人の功績倍率、だっていうことですから、うちの役員退職金内規とほぼいっしょですし、これで計算していいわけですよね」
「その算式だけは確定していますね」
 それについては自信を持ってそういった。
「僕が計算したんですけど、ソ〜ト〜な金額になっちゃったんです」
「相当は相当でも最初の相当とは意味が違ってるんだよね。日本語は難しいね」
「保険の満期金でもあればかなり助かるんですけど、会長の満期は来年なんですよねぇ」
 残念そうに綾口総務部長がそういった。
「現実的には資金調達から考えなきゃいけないんで会社はタイヘンなんですけど、いいにくいことなんですが、税務では受取った保険金の金額と適正退職金の額は連動しないと考えられているんで…」
「あれもダメ、これもダメって、結局、役員退職金を払わせたくないみたいですよね」
溜息まじりにそういった綾口部長に、S税理士はこうこたえた。
「しかし、適正というなら、どの尺度が適正かが判断されるべきですね。必ずしも同種類似法人の役員退職金が完璧な尺度とはいい切れないでしょう。要するに、金額計算の根拠に第三者に対する説得力があるかどうかが最大のポイントになると思いますけどね」 
「過去50年間会社経営を続けて納税をも続けてきた、その税金の累積額の何十%かは退職金として受取っていいんじゃないですか」
「論功行賞的発想ですけど、50年間国民の義務を果たし、おカミの財政安定に協力し続けた……」
 議論は白熱し、三人ともいいたい放題いい尽くした後、苅口経理主任がポツリといった。 
「ただ、当面は払いたくても払うキャッシュがないんですけどね」
………終わり方を決めておくと仕事がやりやすい、ということがある。どうやら、出川与三朗会長は以前から喜寿の引退を決めていたようである。オーナー故に会社が心配、という人が多いのだが、自らの引き際を見極めるには大いなる勇気と未練を断ち切る潔さが必要である。人間引き際が難しい。立つ鳥跡を濁さず、なのか、あとは野となれ山となれ、なのか、どっちの終わり方になるのかは、とどのつまり、その人の品性によるのかもしれない。

(続く)

[平成13年1月号]

税金小噺の目次へ戻る