発達障害児に対する告知というと、親への告知なのかと、思う方もいるかもしれません。
私も、ルカが小さい頃には、本人に告知する日がこようとは、思ってもみませんでした。
ルカが3年の時、私は成人しているアスペルガー症候群の方のお話を、直に聞く機会を持つことが出来ました。
その方は、アスペルガー症候群の子を持つ親達の前で、自分もアスペルガーであるということを話し、小さかったときの事や、現在の心境について語ってくれました。
その時は、正直な話、ルカとは、違う世界の人だなあ、ルカがこんな風に自分の事に疑問を持ったり出来るはずがないものと、他人ごとのように聞いていました。
それでも、いつかルカが、自分の障害をきちんと受け止めることができたら、どんなにいいだろうと、心のどこかで思っていたことは、確かです。
ルカが、5年になった頃でしょうか?
心理の先生との面接(その頃は、リハセンターへ行くときは、勉強をしにいこうと本人には言っていました)があり、リハセンターへ行く途中、
「おかあさん、僕、小さい頃に頭にいっぱいチューブをつけて、ベットに横になって何か調べたことがあるよね。僕ってどこか体が悪いのかな」
と、不安そうに聞きました。
それは、ルカが、4歳の頃受けた脳波の検査の話でした。
私は、内心、ぎょっとしながらも、「そのことは、今日あう先生に聞いて見ようね」と、とりあえず答えました。
結局、ルカはそのときそう言ったきり、後々聞いてくるような事はありませんでした。
リハセンターの先生方にも、そのことをお話しし、告知はいつ、だれがするのかということが、問題になってきました。
まあ、普通の病気だったら、主治医がするものなのでしょうが、主治医によると「一番、コミュニケーションがとれている、お母さんが良いだろう」と言うことでした。
私も、その考えに同意はしたものの、いつ、どのようにしようかと・・・・・
告知するからには、やはり意味のある告知にしたい。せっかく告知したのに、ルカの心になんにも残らないような告知だけは、したくないと思っていました。
5年の頃のルカは、「思春期の頃」でお伝えしたように、情緒的に不安定な時期で、私も告知に踏み切れないものがありました。
ところが、6年になり落ち着いてきて、状態がよくなると、わざわざ告知する必要性が感じられなくなってしまいました。
それでも、ルカが普通になったとは、とうてい思えず、障害のない子と、ある子の差の大きさを、痛切に感じている時期でもありました。
例えば、ルカは、このころ「一人芝居」に凝っていて・・・・、まあ、単なる独り言で、自分の目の前で起きていることを、実況しているような感じです。
人前では、言わないようにと注意しても、大きな声で公衆の面前で、平気で言っているようなところがありました。
「そんな変なことしないで」といっても、聞く耳持たずでした。
それどころか、このころ、歴史人物に興味を抱いており、織田信長などを例にあげ、有名人はみんな、変わり者だったんだと、逆に説明されたりしました。
しかし、将来のことを考えれば、それで良いはずがありません。
他人の目というものをある程度気にすることができなければ、社会的な自立というものは、難しいと思いました。
やはり、彼自身に自覚を持ってもらわなければ、これ以上進めそうにありませんでした。
自覚−彼が社会的に受け入れられないものを持って生まれてきていることを知り、その克服のために努力すること・・・とでもいいましょうか?
小学校生活も終わろうとしている6年の2月に、ついに私はルカに告知しました。
告知に失敗したくないという思いと、言葉よりも、視覚的なアプローチの方が、彼の頭に残るだろうことを予想して、私はあらかじめ、紙にアスペルガー症候群について、簡単に箇条書きにし、それを見ながら説明することにしました。
始めに、障害ということを知っているかと、彼に尋ねると、「知っている。それは、小学校にいるAちゃんのことだ」と答えました。
Aちゃんとは、肢体不自由の子供のことでした。
私は、手足の不自由な人だけでなく、いろいろな障害を持つ人がいることを話し、そして、ルカは、アスペルガー症候群という障害をもって、生まれてきたことを話しました。
人とのつきあい方が苦手で、友達とうまく話が出来ないこと。
独り言をいったりして、周囲から変なやつだと思われることが多いこと。
人の気持ちがわからず、自分中心の考え方をしてしまうことなどなど。
一方で、記憶力がすぐれていること。
とても、まじめな性格で、一つのことを集中して行えることなど、プラス面・マイナス面を併せて伝えました。
そして、そうなった原因は決してルカのせいではなく、確率的な問題である(彼は、このことについては、納得していません。)ということにして話をしました。
彼は、自分が特殊学級に在籍していたにもかかわらず、自分に障害があるなんて、思いもしなかったようで、かなり驚き、そして、今までそのことを隠されていたことに対しても、ショックを受けたようでした。
「治るの?」
それは、あまり聞いて欲しくない質問でした。
生まれつきの障害であるので、完全に治ることはないが、努力すれば普通の人のように社会にでて働けるようになると、答えました。
「結婚は?」
それは、わからない。と答えるしかありませんでした。
僕は、これからどうしたらいいのか、どうやったらよくなるのか・・・・ルカは、やはり一番それが気になることのようでした。
それからルカは、ことあるごとに、今の自分はどうかな? 少しはよくなったかと気にするようになりました。
外出して家に戻ったときも、「今日の僕はどうだった?」と、私に聞くようになりました。
また、僕と同じ障害を持つ人は、何人くらいいるのかとか、障害の原因は何かとか、主治医に聞いたりも出来るようになりました。
彼にとっては、障害を告知したことによって、リハセンターが、今までと違う存在になってきているようです。
一方、自分が障害を持っているということを、他人にあまり知られたくないようで、特に妹には、知られたくないようです。
なぜかなあ・・・・・
私が告知したとき、「大事なことだから、あまり人に言っちゃだめよ」
と、言ったから?
自分の弱みを他人に見せたくないから?
よくわからないのですが、妹いわく
「お兄ちゃん、なんでわたしが障害のことを知らないと思っているのかな? 特殊学級に通ってんだから知ってるの当たり前でしょ」
・・・うーん、それが彼の障害?
細かいことを話すと、障害という言葉を使うぶんには、良いみたいですが、アスペルガーという言葉には、敏感に反応するようです。
告知は成功だったようで、私の予想以上に彼は、いろんなことを感じてくれたように思います。
本人の自覚も徐々に高まり、公衆の面前での独り言も減ってきたような・・・・・
でも、まだまだ、へんなやつだと思われる行動は山積み・・・・というところでしょうか。
私が思うに、完全に治すのは、やはり無理というものです。
いかに、個性の範囲まで修正できるか、というところでしょうか。
でもね、ルカ、私は、今のままのルカが、大好きだったりするんだよね。
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