3年から担任が替わりましたが、それからその先生が病欠ということになり、ルカは4年から6年まで臨時の先生がかわるがわる担任ということになりました。
そのような環境の変化にもかかわらず、ルカの状態は加速度をつけてよくなっていくようでした。
特殊学級の担任の先生からのすすめもあって、5年から交流級に行く授業を増やしてもらいました。
社会・家庭科・体育・音楽を交流し、学校生活の半分くらいは、交流級で過ごすようになりました。
授業に関しては、担当の先生たちがよく配慮してくださり、うまく適応できていたように思います。
しかし、交流級の友達とうまくやっていくということが、少し、難しかったようです。
5年生ぐらいになると、障害のない子供たちにとっても、いろいろな、変化が訪れる時期です。
今まで、ルカのことを障害がある友達として、めんどうを見てあげようと、素直に受け入れることが出来ていたのに、妙にむかつく存在だとか、目障りな存在になってしまうことがあるようでした。
たとえば、クラス対抗のサッカーの試合で負けると、何の根拠もないのに、「おまえのせいで負けた」と攻められたり、掃除の時間「おまえは、知能が低いから、一人で掃除をやれ」と、言われてしまったり、体育の着替えの時に、短パンを脱がされたり、というような、からかいや、いじめの対象になることが、しばしばありました。
ルカは、その都度私に訴えました。
私は、当然、自分の子供がひどい目に遭ったことを聞かされるわけですから、かなり、不機嫌になっていました。
ところか゛ルカは、自分がお母さんにいやなことを言ったせいで、お母さんが怖い顔になると思い込み、学校であったことを話すのをためらった時期がありました。
自閉症の人にありがちな話かもしれませんが、事の因果関係が理解できず、その場で起こった出来事を表面的に理解してしまい、誤った解釈をしてしまっているようでした。
私は、ルカに対して、腹を立てていたわけではないのに、彼には、それが理解できなかったようです。
私は、それからは、内心腹立たしくなるような話でも、きわめて事務的に聞くようにしています。そして、ルカを慰さめるより先に、これからどうしたらいいか、冷静に話すように心がけています。
何か交流級で問題が発生したときには、相手の子供に注意するのはもちろんのことですが、こちらも、防衛策をとることが大切です。
幸い、特殊級に在籍しているので、困ったことがあったら、特殊級に避難するよう、本人にも話し、学校の先生にも、協力を頼みました。
おかげで、あまり、ひどいいじめにも遭わず、学校生活を送れたようです。
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