・小学校低学年の頃



入学式の日、ルカと妹をつれて小学校の門をくぐりました。
みんな、校門の前で記念撮影などしておりましたが、私達親子にそんな余裕はなく、教室へと向かいました。

新しい先生は、50代後半の女の先生でした。
特殊級に入学したのは、ルカ1人だけ、上の学年にも特殊級の生徒は、いないとのことでした。

子供の状態を聞く様子もなく、これからの日程の説明もなく、私が入学式にその先生とかわした言葉で覚えていることといえば、帰り道に
「たらの芽の季節になりましたねぇ。天ぷらにするとおいしいんですよ」・・・・・・
なんとも、のんびりと先生は、おっしゃっていました。

それから、2年生の終わりまで、ルカはこの先生に教えていただきました。
朝は、学校まで私が送っていきましたが、教室はいつも雑然とした雰囲気で、ランドセルを置く所さえも決まっていませんでした。
自閉症の教育は、かつて全面受容という方法がとられていたそうですが、まさにこの先生は、その方法でルカを指導していました。
要するに、なにもしなかったと言った方が早いかも知れません。
先生の指導の様子を見ながら、私は、だんだんその先生が、普通級の30人の生徒を指導する力量のない先生だということ、それでも、その先生が教師としての職を失わないために、ルカの担任となったということが、わかってきました。

ルカの状態は、みるみるうちに悪くなっていました。
幼稚園で、大まかな集団行動はとれていたのに、朝礼で並ぶことすらできなくなっていました。
そしてそれは、こんなふうに育てた親に責任があると、当時のその小学校にいたどの先生もそう思っていたようです。

「もう少し、きちんと教えてほしい」私は、たまらず校長先生に、直接お願いをしました。
校長先生から担任の先生にその話が伝わった日、担任から夜電話をもらいました。

「私は、ルカ君のために、毎日一生懸命やっているのに、批判されてとてもショックで胃に穴があきそうです。」・・・・・
私は、帰す言葉が見つかりませんでした。

こんなことなら、普通級のほうがましだった? 
でも、普通級の先生達を見渡しても、とても、ルカを引き受けてくれそうにありません。
市の養護教育センターへ、相談してみようか・・・
でも、その担当の先生も、私にはとても信頼できそうにありませんでした。
もし、担任を変えてもらって、また、その先生ともうまくやれになかったら、たんなる親のわがままだと受け取られてしまう危険性もありました。
あれこれ、考えても解決策が見つからず、その先生が退職するまで、待つしかないという、悲惨な結論に達しました。

 私は、いつも心の中でルカに謝っていました。こんな環境しかあなたに与えられなくてごめんなさい、と。


ルカは、それでも、2年の終わりごろから、少しずつおち着いているような気がしました。
1年の運動会には、参加していることが少なく、学校の池に石をほうりなげて、遊んでばかりいたルカでしたが、2年のときは、何とか席についてはいられるようになりました。
私が、担任に言ってそのように指導してもらったせいもありますが・・・・・
そして、3年生になったとき、やっと担任の先生がかわりました。
今度の先生もまた、50代の女の先生でした。
始めは、ルカの異常な行動に驚き、そのわりには、勉強ができるので、前任の先生と同様に、私の子育てに随分と疑問を抱いていたようです。

しかし、私が、どうしてそのような行動をするのか説明すると、その先生は、とてもよくわかってくださり、ルカのためにいろいろと工夫をして下さいました。

やはり、自閉症のことは、なにも知らない先生だったのですが、子供をよくしたいという気持ちは、人一倍ある先生でした。

その先生の指導の仕方に疑問が全くなかったわけではありませんでしたが、多少のことには、目をつぶり、先生のやる気をなくさないように、私も一生懸命先生に協力しました。


ルカは、3年生の一年間で、目をみはるほどに成長しました。
それでも、担任の先生だど指示が通るのに、慣れていない先生だと指示が通らなくなることが多く、そのことが、裏表のある性格だと、随分と誤解している先生達もたくさんいたようです。

ある日、私は校長先生から、呼出しを受けました。
ルカの学校での様子を見ていると、もう普通級でもやっていけそうなので、4年から普通級に移ったらどうかという、申し出でした。
しかし、その時の私は、「ルカに対して、この子にあった特別な教育をしてもらっいるから、今のルカがあるのです。
このまま、特殊級で勉強させて下さい」
そう、即答することができました。

後でわかったことですが、ルカが普通級に移るという話は、特殊級に障害の程度の重い子がはいり、その分手がかからなくなったルカに、特殊級を出て言ってもらいたいという、校長のかってな思惑だったようです。
普通級に移れるといえば、親は喜んでOKするものだと思い込んでいたようで、それを私が断ったということで、校長の面目まるつぶれ・・・。
私は、後々、この校長からは、いろいろと間接的ないやがらせをうける事となりました。

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