・早期療育を受けていた頃



自閉症と診断されてから、それまで自閉症のことなどなにも知らなかった私ですが、子供の本当の姿を知りたいという一心で、自閉症に関する本を読んでいました。
当時の自閉症の本は、今よりももっと予後について、厳しいことが書かれていたような気がします。
時には、もう読むのをやめようかと思い、本を閉じてはまた、自分の子供のことなのだから、つらくても知らなければいけない、そんな思いで全部読んだ記憶があります。
リハセンターでは、幼稚園でいうところの年少のころから、通園グループに入れてもらい、年少の頃は週1回、年中の頃は週3回、年長の頃は、普通の幼稚園に通いながら、週1回外来グループに通いました。
特に、年中のころ、週3回のときは、ルカに対する療育だけではなく、保護者に対しても自閉症のについて学ぶ機会が設けられ、このころ得た知識が、これから長く続く、ルカと私の関わりの原点を作ってくれたものと思っています。

自閉症児は、コミュニケーションが苦手であることを知り、今まで私がルカに対して行なってきたことは、ルカには、全然、通じてないことを知りました。
ルカには、わからないことがたくさんあるのに、親にさえわかってもらえず、叱られてばかりいたのですから、本当につらい思いをさせてしまったと後悔しました。
この頃から、ルカに対して、ルカが理解可能な環境をあたえることを常に頭の中にいれて、生活してきた気がします。
当時、リハセンターは、まだできてまもない頃で、職員の皆さんは、自閉症に対する治療法がまだ確立していない中、周囲からの批判をかわしながら、自閉症の子供達のために、一生懸命、一貫した自閉症に対する療育を行なっていただきました。
こんなに早い時期に親に対して厳しい告知を行い、子供に対しても毅然とした態度で接したことが、ある一部の親からは、親や子供の気持ちをふみにじっていると受け取られ、リハから離れていく人もいました。
でも、私は、リハセンターの療育そのものが、決していきあたりばったりのものではなく、科学的な根拠に基づいていること、何よりも子供の状態をありのまま教えていただいたことが、つらくもあり、うれしくもありました。
子供の状態をありのままに知ることは、親の当然の権利であると私は思っています。
リハセンターの療育を行なってから、ルカは、目に見えて成長してくれました。
私は、子供の接し方を変えると、こんなにもよくなるものなのかと驚きもし、ルカに対しては、これからも専門的なアプローチが不可欠であることを知りました。
しかし、ルカが状態が良いのは、限られた環境の中だけで、リハセンターを一歩出れば、異常行動は、まだまだ頻発しており、自閉症のいわゆる般化というものの、難しさを強く感じている時期でもありました。

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