from copen121:クリスマスイブ in Denmark




写真はロイヤルコペンハーゲンの1983年のクリスマスプレートです。
 友人のウフから昼間に電話がかかってきたので、こちらの人がクリスマスイブをどう過ごすのかを聞いてみました。彼の今晩の行動です。

1.まず、夜、親族家族で集まり(彼は奥さんの実家へ行ったみたいです。)、夕食をみんなで食べる。メインのメニューは、だいたいアヒルの丸焼きみたいです。
2.そして、食後、みんなでクリスマスツリーを囲み、手をつないでデンマークの伝統的なクリスマスソングを歌う。
3.その後、プレゼントの交換を行い、珈琲タイムになり、チョコレート、キャンディ、クッキーなどを食べる。
4.午後11時ごろ、お開きになり、帰宅し、12時にサンピエトロ寺院のミサをテレビで見る。

やはり、今でもクリスマスツリーを囲み、手をつないで歌を歌っているのですね。この場面はロイヤルコペンハーゲンのクリスマスプレート(日本ではイヤープレートと呼ばれています。)1983年に描かれています。1979年から1983年までの5年間はクリスマスツリーに関わるストーリーになっており、

1979年:お父さんと子供でツリーを選んでいる場面
1980年:ツリーを家へ運んでいる場面
1981年:ツリーの飾り付けをしている場面
1982年:女の子がツリーの横の窓から外を覗きながらクリスマスを待っている場面
1983年:家族でツリーを囲んで歌を歌っている場面

です。1度見てください。
 クリスマスイブは夕食が重要ですが、クリスマス当日の25日と翌日の26日は昼食が重要らしく、昼食時に家族を中心に親しい友人などが集まり祝うそうです。このときのメニューはコールドフードだそうです。
 実は、このツリーを囲んで歌う歌を聴くことができました。私のフラットは3階にありますが、2階が3世代家族でなんと夜7時に歌声が聞こえてきたので、しばらく、静かに聴いていました。
 結局、2曲歌ったみたいで、1曲目は、メリークリスマスと何回か聞こえたので、英語の歌かもしれません。2曲目はデンマーク語みたいでした。しかし、家がこんなに遮音が悪いとは思いませんでしたね?。まあ、普段そんなに気にならないからいいけど。
 真夜中12時からのサンピエトロ寺院のミサも、ウフから是非私も見るべきだと言われたので見ていますが、毎年クリスマスの午前0時にこんなことをやっているんですね。ローマ法皇は。日本は25日の朝8時か。まあ、テレビで生放送しても誰も見ないな。
 これをDR1で実況中継しているんだから、やはり、デンマークはキリスト教の国だなと実感します。24日と思っていたら、もう25日なんですね。

ミサをBGVおよびMにしながら、
1998年12月25日(金)に書く。


from copen127:あけましておめでとうございます





写真は、自宅前で撮った元旦の花火です。
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謹賀新年
本年もよろしくお願い申し上げます。
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ということで、年が明けましたね。
 日本はデンマークより8時間早く明けているとは思いますが。
 こちらは大晦日の暗くなる午後3時半ごろからず?っと断続的にですが、花火があちらこちらで鳴っていました。そして、午後0時になったと同時にすごい量の花火。もう、家の周り花火に囲まれているという感じでした。ピークはやはり、午後0時過ぎから30分くらいで、1時ごろまでには、かなりの量が打ち上げられました。
 午後0時になったと同時に、少し外に出て見たのですが、いろいろな家でパーティをやっているのか、新年の歌(?)があちらこちらの窓から聴こえてきました。まあ、ほとんど花火を見るために窓は開いていますから。
 10分くらいで外から戻り、ベランダに出て花火見物をしていたのですが、もう花火の煙で外は霞んでおり、庭は火薬の匂いで息苦しいほど。
 たまに大砲の音かなと思うくらいびっくりする爆発音が非常に心臓に悪かったです。
それと、外に出たとき、二人組の若者が道路に投げている爆竹の破裂音も心臓に悪かったです。
 外はまだ騒がしかったのですが、私は午前2時ごろ寝ました。でも、朝5時半ごろに花火の音で起こされ、結局、寝られなくなり、6時過ぎに起きた次第です。

睡眠不足ぎみの元旦でした。
1999年元旦(金)に書く。



from copen128:Berwaldhallen in Stockholm





写真がストックホルムのラジオコンサートホールの外観と内観です。




ストックホルムの東方にラジオ局があり、そこにBerwaldhallenというコンサートスタジオがあります。1979年11月にオープンした1300席の多目的ホールです。多目的といっても主にラジオあるいはテレビ用のコンサート収録に使われており、スウェーデンのラジオシンフォニーオーケストラの本拠地です。
で、なんといってもユニークなのは、平面の形が

六角形

ということです。
 なんで、ドイツを含めた北欧はこういう皮肉れた形のホールが多いのでしょう。
特にドイツは、お隣りのオーストリア・ウィーンのムジークフェラインに対抗しているとしか思えないよな。オーストリア国境のそばにあるミュンヘンのガスタイク(Gasteig)なんてV型ですからね。それもシンメトリーではない。そのそばにあるシュトッツガルトのリーダーハレは以前にお話した通りです。
 1963年にワインヤード型がベルリンで生まれたのがわかる気がするな。まあ、かたちがバラエティに富んでおり、音響の比較をするのにはとても良い環境ですけれども。
 話が逸れてしまいましたが、Berwaldhallenは、バルコニー席が2,3階とあります。両階ともステージ後ろまであり、ぐるっと一周できます。
 内部は木をたくさん使用しており、視覚的にも落ち着いた美しいホールです。大きさも写真で見て思っていたよりも小さかったです。

ここで、私は、

Luwig van Beethoven
Symfoni nr6 F-dur op 68

Olivier Messiaen
Et exsecto Resurrectionem
Mortuorum

を聴きました。
 聴いた場所は、ステージ正面、2階バルコニーの最前列のほぼ中央でした。なかなか良い場所でした。音はクリアでとても良いのですが、どちらかといえば、ドライで残響はあるのですが、ステレオ感がなく、前の方で鳴っているという感じですね。
 でも、思っていたよりは、音は良かったです、六角形のホールは!
でも、コペンハーゲンのラジオコンサートホールの音の方が私は好きです。
 そういえば、ストックホルムのOstermalmstorg駅に、「帰りのラッシュアワーにいる東京の人たちに、声をかけてみませんか。」というポスターが貼ってあったな。インターネットを使ったイベントみたいでした。12月7日から13日の8時から10時に行われたみたいですが、どなたか関わっていた人がいますか?

1999年元旦(金)書く。


from copen129:アルバ・アアルト(Alver Aalto)




写真は、カフェ・アアルトで注文したケーキセットです。
 フィンランドの建築家といえば、アルバ・アアルトです。昨年(1998年)はアアルトの生誕100年でフィンランデアホールと繋がっているイベントホールでアアルト展をやっていました。もちろん、1976年に亡くなっており、今は故人となっております。
 まあ、私は特にアアルトに関心があるわけではありませんが、一応、建築に関わっている仕事をしていますので、ヘルシンキにあるいくつかの建物とオタニエミ(Otaniemi)にあるヘルシンキ工科大学は見てきました。あとは、ついでに都市計画の勉強にとタピオラ(Tapiola)も行きましたが、サーリネンの住んでいた家があるヴィタレスク(Hvittrask)までは行く時間はありませんでした。中央駅(サーリネン作)の前は何回も通ったし、構内でクリスマスコンサートも見ましたので許してもらいましょう。
 どうということもなく、まあ、近代建築の歴史を見てきたということでしょうか。
 あまり関心が無いのであれば、取り上げるなと言われるかもしれませんが、ヘルシンキはやはりアアルトを取り上げなければだめでしょう。アアルトはヘルシンキの都市計画も考えておりますし、いまでも町は開発の途中段階でいろいろなところで建築工事をやっております。
 アアルトに限らず、ヘルシンキには興味ある建物がたくさんあります。コペンハーゲンやストックホルムに比べて近代都市という印象を受けました。
 ちゃんと、アアルトが設計した本屋さんの奥にあるカフェ・アアルトでケーキセットを食べてきましたし、エスプラナーディ公園の東にあるカッペリ(Kappeli)でビールを飲んできました。

ヘルシンキもいいところですよ。

1999年1月2日(土)に書く。


from copen130:フィンランディアホール(Finlandia Hall)




写真はフィンランディアホールの外観と内部です。

 ヘルシンキ中央駅の北側にあるトーロ湾の西岸、スペリアンプイスト(Hesperianpuisto)公園の南にフィンランディアホールが建っています。アルバ・アアルトの設計です。1960年代前半からアアルトがヘルシンキの都市計画を考えたプランの中で唯一実現した建物です。ホールは1971年に完成。続き隣りの会議場は1975年に完成。前回書きましたが、翌年1976年にアアルトは亡くなっています。私が訪れた昨年(1998)は、アアルト生誕100年でしたので、結構、建物のあちらこちらを修復しており、外壁で使われているイタリア産大理石もかなり剥がされていました。おかげで、「断熱材(グラスウール)をこういう風に取り付けているのか。」と見ることができました。
 座席数は1700席で扇形のホールですが、客席後方が3段階に分かれていて、ステージに向かって左側が一番列が少なく、真ん中が中間、右側が一番列が多くなっております。これは2階バルコニー席も同じです。ですから、右側の2階バルコニー奥の席が一番ステージから遠いわけです。
 中に入って驚くのは、椅子と側壁の拡散板が青だということです。ホール内は、主に青と白の2色で構成されています(ステージおよび客席等の床は木です)。結構、重い印象を受けます。この2色はフィンランドの国旗の色です。昨年F1グランプリを見ていた方は、どういう国旗かご存知ですね。ミカハッキネンが随分活躍していましたから。椅子は、レザーと布張り半々でできており、空調は床吹き出しです。私は2階バルコニー右側の中央くらいで以下の曲を聴きました。

Dmitri Shostakovitsh Viulukonsertto nro 1 a-molli
Gustav Mahler Sinfonia nro 1 D-duuri

 私は良く知りませんが、最初の曲で弾いていたViktoria Mullovaという女性バイオリニストは有名みたいです。ホールの音は、はっきり言いますが、残響音が足りません。非常にドライです。私の個人的な意見ですが、天井高がもう少しあった方が良いのではないかと思います。まあ、アアルト先生の考えでは、コンサートだけでなく、会議等にも使用するつもりでいたので、わざとドライにしたのかもしれません。
 コンサートが終わった後、一階に下りて中を見て廻ったのですが、客席後方中央にミキサーが置いてあり、PAシステムを使用していたことがわかりました。そういえば、貰ったホールのパンフレットの中に最新のPAシステムを導入したと書いてあったのを思い出しました。それならもうちょっと残響を作ればいいのに。できないのかな?
 まあ、クラシックのコンサートには電気音響はあまり使用しない方が良いとは思いますけどね。
 フォローのために、エントランスホールやホワイエなどにある証明等のインテリアも、すべてアアルトがデザインしたみたいです。とても良く空間とマッチしておりました。

1999年1月2日(土)に書く。

from copen133:テンぺリアウキオ(temppeliaukion)教会


写真は、テンペリアウキオ教会の内部です。
 ヘルシンキ中央駅の西側にテンペリオアウキオ教会という岩山をくりぬいてできた教会があります。敷地が持つ特性を生かすことをコンセプトとしてティモ&トウオモ・スオマライネンの兄弟によって設計され、教会は1969年に落成しました。収容人数は750人です。

非常に面白い建物です。

 私好みの建物です。敷地は岩肌の公園になっていますが、私が行ったときは雪で覆われており、公園内に入ってぐるぐる回って入口を探してしまいました。入口は公園の外にあったんですね。膝下くらいまで雪が積もっていたので歩くのが大変でした。
 建物に興味がある方は何かの資料で見てください。有名なのでフィンランドの建築関係の本に載っているでしょう。

実はこの教会、非常に音が良いのです。驚きました。

 壁が岩でできているので、さぞかし残響が長いだろうなと思っていたのですが、非常に音がクリア。で、かつ、音の響きもすばらしい。
 掘削面そのままの岩肌が音を拡散する役目をしていますし、おそらく、天井というか銅板でできているドーム状の屋根がうまく音を吸音しているのではないかと思います。もちろん、岩山をくり抜いていますから、遮音は抜群です。周りの騒音などはぜんぜん聞こえません。
 ここで、クリスマスコンサートのための男性コーラルのリハーサルと、パイプオルガン、それにチェロとギターの演奏を聴いたのですが、よかったですよ。
 今回の旅行でいちばん音が良い建物だなと思いました。
 実は、この教会を建てるまでに3回の設計競技が行われており、1回目の1933年にアルバ・アアルトも設計しています。図面が残っています。アアルトの案が採用されなくて良かったですね。
 でなければ、こんなにすばらしい音響を持った教会はできませんでしたからね。

1999年1月3日(日)に書く。

from copen134:アムステルダム紀行




写真はコンセルトヘボウの外観です。
 実は1月7日から13日までオランダはアムステルダムへ行ってきました。本当は12日に戻ってくるはずだったのですが、北欧が大雪で飛行機がキャンセルになり、結局、オスロ、ストックホルムそしてコペンハーゲンへ行く乗客はもう一泊アムステルダムで延泊を余儀なくされ、夜11時すぎに全員バスでホリデーインへ連行されました。
 翌日は朝9時にホテルを出て再び空港へ戻り、やっと12時半ごろ飛行機に乗れて4時ごろ帰宅できた次第です。今日もデンマークはまだ大雪が降り続いています。日本もどうやら随分雪が降ったみたいですね。アムステルダムで泊まったホテルがサテライト放送でNHKが入り、日本の大雪情報を見ていました。
 帰りの飛行機を除けば、今回も非常に良い旅行でした。音楽漬けのアムステルダム滞在でした。結局、コンセルトヘボウへ4回も通ってしまいました。

10日の日曜日などは、
12時   から cafe americanでGYPSY JAZZ。
14時半  から コンセルトヘボウの大ホールでオーケストラの演奏。
16時   から ホーランドカジノでGYPSY JAZZ。
20時15分から コンセルトヘボウの小ホールで歌とピアノの演奏。
と梯子して、頭の中がごちゃごちゃになってしまいました。

 さすがに11日の午後は、運河ツアーとトラム20番で市内一周の旅を終えた後、疲れが出てしまい少しホテルで休みました。でも、20時15分からソウルアウトだったのですが、当日券が並んで買えてしまいましたので、またコンセルトヘボウの大ホールでオーケストラの演奏を聴いてしまいました。
 ゆっくりアップしていきたいのですが、来週末、また、オスロへ行かなければならないのでほどほどに書きます。ぜんぜん、デンマークのことが書けないなあ。まあ、クリスマスと正月のことを随分かいたからいいか!

1999年1月14日(木)に書く。


from copen136:Faithless


写真はFaithlessのCDジャケットです。
 Faithlessというおそらくブリティッシュバンドだと思うのですが、ご存知でしょうか。日本では人気が出ていますか?ダンスミュージックとしてこちらではよくMTVなどで紹介されており、ヨーロッパでは人気があります。

 God is a DJ

という曲で昨年ヒットして、暮れ頃、

 Take a long way home

だったかな?これが、また、ヒットチャート上位にランクされていました。

 コペンハーゲンでは、昨年12月12日にベガでライブを行ったみたいですが、私はちょうど、ストックホルムへ行っていたので、見にいけませんでした。1回ドイツのテレビスタジオで行われたライブをテレビで見たのですが、なかなか格好良いですよ。特にインド系の女性パーカニストとドラムが出すリズムがなかなかグッドです。私が帰った後に日本へこないかなあ。興味があれば聴いてみて下さい。

1999年1月15日(金)に書く。


from copen141:アンネ・フランクの家



外観



内観

アムステルダム証券取引所(1903:Hendrik Petrus Berlage)
 アムステルダムには、「アンネの日記」で有名なアンネフランクの家があります。実を言いますと、私はアンネの日記も
読んでいませんし、映画も見ていません。今さら、この年にになって「お涙ちょうだいもないだろう。」と思い、行くのは
避けていましたが、たまたま近くまで行き、1時間ばかり時間があったので、せっかくだから行ってきました。

いや〜、やはり泣けますね。

なんといっても、実話ですからね。
でも行ってよかったですよ。
こんなアムステルダムの真ん中で2年間ナチスの目を避けて隠れ続けていられたのも、
間口が狭く、奥行きが長いという
アムステルダム建築

のなせるわざだと実感しました。じっくり堪能しました。外から見ても中にはなかなか入れませんからね。
残念ながらゲシュタポに踏み込まれてしまいますが。

アムステルダムの建築といえば、近代建築の父と言われたベルラーヘが1903年に設計した証券取引所が有名ですが、
いまは、中はきれいに改装されており、私が訪れた時は、車のブガッティの展示をやっておりました。
タワーにも登れてその下は博物館になっています。
さらに、メインホールとは別に、音楽ホールが二つ新しく中に作られています。
音楽ホールの一つはヤクルトがスポンサーになっているみたいで、名前もヤクルトホールと呼ばれています。
残念ながら今回は音楽ホールには入れませんでした。
まあ、また、来ることもあるでしょう。

18年前に訪れた時は、まだ、証券取引所として使われていたみたいで、こそこそと隠れながら見学をしたのですが、
今回はどうどうとお金を払って建物の中を歩き回ることができました。

建築関係の方は、アムステルダムに来たならば、この証券取引所とアンネフランクの家は必見でしょう。
ぜひ、涙を流しに訪れてください。

1999年1月20日(水)に書く。

さて、あしたの夜からオスロとヨーテボリへ行ってきます。夜行列車は今回初めてだな。良く、眠れればいいんだけど..