瀋陽

人口500万の東北地方最大の重工業都市で上海・

北京・天津につぎ人口が多い。東北の経済、交通

の中心で遼寧省の省都でもある。

この地は女真族の奴児哈赤(ヌルハチ)が後金を興した

際には盛京と呼ばれ、その後、奉天となり、1948年

の解放後に瀋陽に戻った。瀋陽とは「瀋水の北側」

の意。日本の占領時代には現中山路は旧千代田通り

で、中山広場、鼓楼、鍾楼付近には日本人設計の建

物が数多く残っている。北東郊外の「柳条湖」は日本

の満州侵略が本格化し、”満州国”樹立から日中戦争

へ進む引き金となった「柳条湖事件」の発祥の地。

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北陵。

石人、石獣が並ぶ壮大な

陵墓が清朝の隆盛を物語る。

瀋陽市の市街地の北部にある。清の2代皇帝、太宗皇太極(ホンタイジ)とその皇后を祀った陵墓。正式名称を昭陵といい、清の関外三遼陵(昭陵、福陵、永陵)のうち最大の規模。参道には、石人、石獣がずらりと並んで墓を守っている。「大白」と「小白」の2頭の石馬は、太宗の愛馬を模したものと伝えられる。瀋陽を訪れた代々の皇帝は、必ず昭陵に参拝したという。

 

 

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昭陵の前の方は公園になっている。両方合わせて北陵公園と呼ばれていて、市民の憩いの場として親しまれている

 

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二つある湖には貸しボートがあって休日には家族、若者で賑わう。

 

 

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