・近況報告149

変換機能

今週ルカの学校は校内現場実習ということで、校内ではあっても実際タイムカードを押して出勤というかたちで、作業実習を行っています。
修学旅行も終わってしまい、もう卒業後の就労へ向けてのカウントダウンは始まっています。
「そんなことないわ。秋には文化祭だってあるし、まだまだ楽しいことはいっぱいよ」と、当事者のルカより私の方が、自分自身に言い聞かせたりしています。
来週あたり詳しく報告できるかな?

話変わりまして、先週はルカのクラスの先生がお昼にカレーをごちそうしてくれるということで(何で?)、あらかじめ材料は各自分担して切って持って行くという話になりました。
ルカが持っていくのはジャガイモ。
その日は、部活もあって少々お疲れのルカ・・・ジャガイモの皮をむくのも嫌な様子。
「あー、めんどくさいなー、でも死んでも自分でやらないとダメみたいだ」とルカ。
「先生がそう言ったの?」と私が聞くと、「イヤ、そうは言ってないけど・・・"必ず自分でやってきてね" だったかな? だけど俺流に訳すと"死んでも" ということになるんだよ」とルカ。
どうやら、ルカの頭の中には特別なワープロ変換機能みたいなものがあるようです。
この場合「必ず」という言葉がルカの頭のなかで「死んでも」という言葉に変換されています。
その特徴として、自分にとって「つらい」と思われる事柄は、極端な言い回しに変換してしまうことが多いようです。
例えば「テレビゲーム」を約束の時間を過ぎてもやっていて、私が「ルカ、時間過ぎてるよ。この頃時間守れてないよね」と私としては遠慮がちに言っているつもりでも、 ルカの中では
「時間が守れないなんて、なんてあなたはダメな子なの?」みたいな言葉に変換され
「あーっ、わかった、わかった。俺はダメな人間だー」と騒ぎ出してしまったり・・・・・。
なんだか言った方がとーっても意地悪な言い方したみたいな受け止め方をしてしまうのです。
もちろん、ルカは相手が意地悪だなんて思ってはいないでしょうけど。

さて、問題のジャガイモ、「死んでも」という使命感のもとにせっせと1人で皮をむき、切ってできあがり。
たった1コのことなので、すぐすんでしまいました。
それでもなお、ルカは言います。
「ねえ、実際はお母さんにやってもらって、先生には"自分でやりました"って言えば、自分でやったことにならないかなー。ばれなきゃいいんじゃないの?」と。
うーむ、君には珍しい発想だね。実際、そういうもっともらしい理屈をこねくり回して自分を正当化する人もいるみたいだけど。
それをやってしまうと、君の良さがなくなってしまうと私は思う。
「嘘はね、バレなきゃいいってもんじゃないの! 人間には良心というものがあるでしょ」
と、とりあえずは言って見ましたが・・・。

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