理由
前回の参観の続きです。
ルカはもともと私が授業参観に行くと集中できないという理由で、私が行くのをとても嫌がります。
1年の時は比較的苦手意識の少ない窯業の参観は来てもいいと言うことでしたが、苦手意識いっぱいのコンクリートは「絶対来ないで欲しい」ということでした。
「ルカはそんなに集中できないの?」と、先日参観した日に聞いてみました。
「うーん、今日はまあまあ集中できたけど・・・。ほらっ、コンクリートの時最初の参観の時、お母さんが見に来てたと思ったらいなくなったから、どこへ言ったのかなーと思って、きょろきょろしたら"ルカ、どこ見てる!!"って先生に怒鳴られたんだよ。も〜、あんな思いはたくさんだ!」
・・・なるほど、集中できないというよりは、集中できなくて怒られたことがルカにとってトラウマになってしまったようです。
確かに私も、ルカ、怒鳴られたよね?、とその時思いました。でも理由はわからなかったのですが、私を探してきょろきょろしたことがその理由だなんて・・・知りませんでした。
ルカはもともと怒られるのが苦手・・・というより一度怒られてしまうとなかなか立ち直れなくなってしまいます。
さて、この理由。
一般的に"怒られることに弱い"というには、まず気が弱いから・・・もう少しつっこんで考える人は過去にすごーく怒られてばっかりいたので自信をなくしてしまっているとか、その逆に甘やかされて育ったので怒られることに慣れていないのでは?と考えるかもしれません。
さて、ルカの場合はどうなんでしょうか?
確かに小さい頃は怒られることも多かった。そして大きくなるにつれて周りも彼の障害に気づいてあまり怒られなくなった・・・うーん、気もめちゃくちゃ弱いし。でも、どれも決定打ではありません。
目先を変えて、彼は脳に障害があるわけですから、脳の情報処理能力ということで考えてみる。
私たちは、日々いろんな情報を体の感覚機能をつかって受け取っているわけですが、これはいらない情報、これは知りたくない情報、これは重要な情報と無意識に分けて受け取れるフィルターのような機能をもっているのではないでしょうか。
しかし、ルカにはない・・・ないと言うよりはそのフィルター機能が非常に雑なものだと考えられる。
作業の時間、先生からの叱責も「またか、これは話半分に聞いておいて・・・」と例えは悪いかも知れませんが、通常はそういう意識が働いて、自分の心が傷つくことをガードしているのかもしれません。
しかし、ルカはその機能が弱いため、強い刺激をもろに受け取ってしまうのでは?と私は思うのです。
そしてもろに受けてしまってた刺激は通常の記憶のように色あせず、いつまでもレアのままでルカの心に残ってしまうのです。
ルカの場合はとても目の粗いざるみたいなフィルターの機能だから、重要な情報もささいな情報も同じように脳に届いてしまうので、いろんなことに反応してしまいます。
逆に情報をぜんぜん通してくれないフィルターをお持ちの方は、全ての反応に鈍くなる。
通常と違ってある特定のモノだけを通してしまうフィルターをお持ちの方も多いことと思います。
そう言う人は、それだけに注意が向いて周りが見えなくなってしまいます。
そして、その機能は全くないわけではなく、程度もさまざまできわめて正常に近い人もいるでしょう。それ故に自閉症スペクトルといういい表し方は言い得て妙だなーと、今更ながら思います。
そこを克服するためには、予測する力を育てることかな?
怒られるということも、あらかじめ「来るぞ来るぞ」と思っていれば、少しはショックも和らぎます。
・・・・・でも、この予測する力も弱いですよねー。
そこでいろんな経験を積むということが大切になってくる・・・でも、1つの経験をしたからといってそれを違うことに生かす能力というのも未熟なわけです。
1つの経験をなかなか一般化できないということも、十分に頭に入れておくべきでしょうね。
そんなこんなの障害を抱えながら、少しずつステップアップを図ることが大切なんでしょうね。
ルカママったら、いつも障害と結びつけて考えるんだから・・・と思われる方もいらっしゃると思いますが、やっぱりそこを考えないと、とんだ誤解を生むことになると思うのです。
もうルカは高校生。
周りの人は小さい頃のルカをしりません。過去の出来事と結びつけて、過去に悲しい人間関係があったからだとか、そんな感傷的な後ろ向きな思いやりから始まってしまうと、とんでもない方向に進んでいってしまう気がします。
それ故に障害の特性を理解することは大切なことだと思うのです。
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