全体注意
朝礼等で、「おしゃべりが多い」と先生がマイクを使って全体に注意するということ、よくある光景です。
まあ、自分が話をしてなかった場合は、「私じゃないよ〜」と涼しい顔をしていればすむわけですが、
ルカの場合は、そうは行きません。
自分はさっきからおしゃべりもせずに、まじめに聞いているつもりなのに、なんで「静かにしろ」といわれなければならないんだろう。もしかして、自分では気づかないけど、なにか問題になる行動をしているのかな?と、不安になるようなのです。
それと同様に、特殊学級の帰りの会で、今日の反省というのをやっているのですが、そのときよかったこと、悪かったことを一人ずつ発表するのだそうです。
クラスのなかで、どうも他人の悪いところばかりを指摘し、自分の悪いところが見えてない子が多いので、そういうことを始めたらしいのです。
それはとてもいいことだと思うのですが、ルカの場合は他人の悪いことを指摘するというよりは、自分を責める傾向にあります。
「俺の知らない短所がもっとあるのではないか・・・」と不安になることがあります。
先日もそんな不安を、私に話してくれました。
「ルカは全体に注意される時、全部自分に言われていることだと思ってない?」
と私が質問すると
「そうだよ。当たり前じゃん!」とルカ。
「そうじゃない場合もあるんだよ。"静かにしなさい"って注意している場合は、そのとき騒いでいる何人かの生徒に言ってるんだよ。ルカのようにまじめに話を聞いている子に注意しているんじゃないよ」と説明すると、
「え〜。そうだったのー」とびっくりしていました。
ふつうは「これは私に関係ないや」と受け流してしまえることでも、自閉症の子にとっては、誰に対して言っているのか、場合によって違ってくるということを判断することは、とても難しいようです。
「それとねー。」とルカの話は続きます。
何か失敗したときに、「あー、僕は馬鹿だー」なんていうと、先生がひどく気にして「自分をそんな風に思っちゃいけないよ」といちいち注意をするということでした。
「なにかミスをしたんだから、馬鹿なのは当たり前なのに、なんでいちいち言うかなあ〜」と疑問だらけのルカ。
この「馬鹿」という言葉・・・地方によっていろいろニュアンスが違ってくるみたいですが、ルカの場合はそんなにふかーい意味でいってるのではなくて、口ぐせのようなものだろうと思います。私たちも、なにかミスをしたときに「あー、馬鹿しちゃった!」なんてつぶやくことがあると思います。たぶんそれと同じことなのです。
ここはさりげなく流した方が賢明だと私は思います。
しかし、特殊学級の子供相手だと、ついそういう言葉に神経質になってしまいがち・・・
「自分のことをそういう風にいっちゃいけないよ。自分のことを好きになって欲しい」なんていうアドバイスをついしてしまいます。
でも・・・自分を振り返ってみても、10代の悩み多きこの時期に、自分が好きだっただろうか・・・コンプレックスの固まりだったんじゃないだろうかと、思うのです。
ルカには「お母さんもね。10代の頃はいろいろ悩んだなあ〜。自分がなんて馬鹿なんだろうって思ったりもしたなあ〜」というと、
「へえー、そうなんだ。」とちょっと納得した様子でした。
それから「担任の先生は、きっとルカが自分を馬鹿だと思って欲しくないと思って言っているんだよ。そういう言葉を聞くと悲しくなるんだよ。」と説明したのですが、それは「わからん!」ということでした。
障害があるために、いろいろ理解できないこと。反対に障害があっても10代の若者として悩んだりすること・・・
いろいろ入り混じっていて、なかなか難しいものです。
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