ルカ的ダサイもの
ルカと街を歩いていたときの事、突然
「げっ!! お母さん目をつぶって。あんなの見ちゃいけないよ」
と、わたしの顔を覆い隠そうとしました。
何事かと見ると、デパートのショーウインドーに、アンパンマンのディスプレーが・・・・
ルカは異常な程、アンパンマンを見ると、拒否反応を起こすのです。
中学校でも、美術の時間、先生が粘土でアンパンマンの顔を、見事に作ったのに、
「こんなもの、つくっちゃだめです!!」
といって、ぐちゃぐちゃに壊してしまったとか。
その理由は・・・「ダサイ」から。
ダサイという言葉に敏感になったのは、中学1年の1学期の頃です。
ある日、ルカは、お気に入りのマンガの単行本を買いに行った帰り、交流級で一緒の男子生徒にあいました。
そして、その生徒が一言
「ルカ、こんなのまだ読んでんの? ダッセー!!」
と、言われてしまったのです。
その生徒は、クラスでもその話を持ち出して、ルカをからかってしまったのです。
それから、ルカは、自分がダサイと感じているものと、同級生がダサイと感じるものには大きな隔たりがあることに気づいたのです。
ルカは、事あるごとに
「これ、中学生らしい? ダサくない?」
と、聞くようになりました。
そんなルカでも、アンパンマンだけは、ダサイと、自信をもって言えるようです。
いつの間にか、ルカの中ではアンパンマンが、ダサイものの象徴となったようです。
その他にも、くれよんしんちゃんもダサイし、私が懐かしいなあと思って、
「お母さんといっしょ」を、テレビで一瞬でも見てると、
「お母さん、なんて番組を見てるんだー」
と、避難されてしまいます。
しかし、交流級の生徒にダサイと批判されたマンガの本、ちなみに「スーパーマリオ君」なのですが、
それは、なぜダサイのか、納得出来ないようです。
からかわれたときは、中学の先生にも相談し、
「大人でも、マンガを読む人もいるし、自分の好きなものは人によって違うから、気にするな」
と、アドバイスを受けたようですが、彼の常識が、普通の常識と違うということを、彼なりに自覚した事件でした。
この間、ルカはポケットモンスターの映画を見に行きました。
一人で見に行けるようになり、私はうれしかったのですが、
ルカの話によると、小さいガキばっかりで、落ち着いて見られなかったとか・・・・・
「お母さん、ポケモンって、ダサイの?」
と、聞かれてしまいました。
中学生になると、あまり見ないかと思ったのですが、それを言うと、好きなのに見てはいけないということになって、彼が悩むのは目に見えています。
「大人も、子供も楽しめるように作ったようだよ」
と、答えておきました。
近所の、同級生の子は、同じ映画館に「ジュブナイル」を、見に行ったようですが・・・・・・
ダサイという言葉自体、とても曖昧なもので、感じる人の年齢・性別・時代によって変化していくものですよね。
アスペルガーのルカが、それを感じ取って行くのは、非常に困難な事です。
周囲から、自分が気に入っているものを批判されて、混乱してしまったり、自信を失ったりしたら、いやだなあと思っています。
でも、社会で生きていくためには、ある程度はわからないといけないのでしょうね・・・・・
Tシャツ一つ選ぶにしても、
「これ、ダサくない? 中学生らしい?」
と、聞いてくるルカ。
価値観が多様になったといわれる現代でも、私たち親子には、常識というあつーい壁が、立ちはだかっているのです。
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