水に流す
ルカは子供の声がとても苦手で、マンションの階段を小さい子供がグズグズ言いながら登っている声が聞こえると、
「このマンションには何で小さい子が住んでいるんだろう」などと、自分がってなことを言い始めます。
小さいころのルカを思い出すと、本当にぎゃーぎゃー騒いでいたので、私は思わず
「あなた、小さいころを覚えてないの」といってしまうのですが。
この間もそんな話になり、ルカもまたお母さんは同じことをいうと思ったのか
「まあまあ、そういことは水に流して」
といわれてしまいました。
私は「それを言うなら、”自分のことは棚に上げて”でしょ」と言い返してやりました。
それを聞いていた主人は、
「そうだなあ・・・ 水に流すというのは例えばAさんとBさんがけんかをしたとして、そこに間に入ったCさんがまあまあ二人とも気持ちはわかるけどここはひとつ、水に流して・・・とか、そういうときに使うんだよ」と説明しました。
ルカもこの説明に珍しく納得して、
「なるほど。ぼくだったらAさんBさんじゃなくて、そうだなあポケモンのヤドンとマダツポミがけんかして、ピカチュウが間にはいるっていうにする」というので、
「そうそう」と話がスムーズにいきかけたのですが・・・
「それより○○駅と××駅がけんかして・・・っていうふうにする!!」というので、
私はオイオイ・・と思いつつ、
「それはちょっとおかしい」と突っ込むと、
「ああ、そうか。同じ東急の駅じゃおかしいか」などといっておりました。
うーん、そうじゃなくて、駅はけんかしないことを私はいいたかったのですが・・・
これは彼の永遠の課題なんだろうなあと思います。
自閉症の仲間なのに、慣用句がある程度使いこなせたりして、一見、能力が高そうに思える彼ですが、どうも人とものの区別がつかないというか、私たちが持っている認識とずれていることが多々あります。
彼は、小さいころからこんな言い回しをよくしていました。
小さいころは、ものを擬人化しているのかと、きわめてプラス思考に考えてあげることもできたのですが、ルカの年齢になると、やはりかなり妙な感じです。
すべてにおいて大幅に認識がずれていれば、ああ障害なんだなあと、周囲を納得させることもできると思うのに、ルカと会話しているとなんかしっくりいかない・・・だけれどなんでしっくりいかないのかわからないということが多々あります。
そしてわからないから、会話していてもとてもいらいらしまうのです。
親でさえそうなんだから、他人はもっといらいらするんだろうなと思ってしまいます。
そして彼は彼で、なんで自分の言っていることが他人にわかってもらえないのかと、思っているのでしょう。
そこら辺のずれを埋める手段はあるのでしょうか?
そんなことを真剣に考えている私の前で彼は
「そうだ、市○○駅と中○駅にしよう」と、嬉々としていっておりました。
はあ〜・・・ため息・・・
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