それなりに
土曜日、ルカの母校の小学校との特殊級の交流会がありました。
ルカの中学校には、学区内の3校の小学校出身の子供達が、きています。
現在、小学校の特殊級の子供達も、ゆくゆくは中学の特殊級に入るわけで(養護学校に行く子もいますが)、お互い仲良くしましょう・・・ということで、年に1回程度、小学校の特殊級を訪問して、会食をしたり、ゲームをしたりします。
中学の先生にしてみれば、今度はどんな子が中学に入ってくるのかなあと、偵察の意味もあるような・・・
小学校の先生にしてみれば、卒業していった子供達の成長した姿を見る、よい機会になっているようです。
土曜日の交流会は、ルカの母校ということで、私も参観させてもらいました。
まずは、自己紹介。
ルカは、好きな動物はバッファロー・ライオン。趣味は特急電車の通過駅を調べることだとか・・・まことにルカらしい発表をしておりました。
それから中学の生徒達がリーダーとなって、いす取りゲームや風船バレーなどをやって、その後お好み焼きを作って食べました。
ルカの特殊学級のクラスは現在5人。知的にはボーダー、またはボーダーに近い形の軽度の障害のある子供達なので、他の中学からすると、かなりレベルの高い(なんか言いにくいんだけど・・)メンバーになっています。
それに比べて、ルカの母校の小学校のメンバーは、知的には中度の自閉症の子供たちが多いかなあと、感じました。
小学校の先生は、努力して、中学生のお兄さんお姉さんを見習って、将来はああいうふうになろうね。なんて言っていたようですが、なんかあぶないなあと・・・私は、思ってしまいました。
これはとても言いにくい話ですが、障害を持って生まれてくるということは、その時点で、将来の可能性がある程度限定されてしまうことだと思うのです。
現在は、障害の早期発見・早期療育がかなりすすんで、早く障害を発見して療育すれば、皆、到達地点が同じになれるような印象をもってしまいがちです。
でも、早期発見・療育の目的は、必ずしも、子供の能力を伸ばすためだけのものではないと思うのです。
親御さんが早くから子供の事を理解して、将来的にどんな環境を与えることが、子供にとっていいことなのか、そういうことを考える場でもあると思うのです。
障害児の療育・教育に携わる人たちは、例えば、字が読めるとか会話ができるとか算数ができるとか、そういう子供自身の能力の開発に力を入れすぎのような感じがします。
それができないと、自分の指導能力のせいにしたくないためか、子供や親の努力が足りないなどと、思ってしまいがちの気がするのですが・・・ちょっと言い過ぎかな?
フジカラーの「美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに(撮れます)」というCMをご存じでしょうか・・・。ちょっと古い? 最近も似たようなCMやっていたような・・・
私は初めてそれを見たとき、「そうよね。どんなに努力しても生まれつきの容姿は、そう変わるものじゃないよね。人間は皆平等なんて嘘だよなあー」と、思ったものでした。
でも、それなりにある程度工夫すると、それなりに見栄えがよくなる可能性はありますよね。
ウチのルカだって、今はかろうじてアスペルガーの仲間入りをしているけれど、所詮、いわゆる天才的なアスペルガーの人にはなり得ないわけで。
それなりに、成長していければいいのだと思うのです。
そこら辺、それなりじゃなく、最高到達点まで行きたい、教育によって行かせてみせる・・・そう思ってしまったら、かえって不幸な気がしてしまいます。
こんな風に書くと、あきらめろと言うのか!!と、怒られてしまうかも。
決して、そういう意味ではありません。
一生懸命がんぱっていいと思う。でも、その方向をよく考えて欲しいと思います。
なんか、今日は随分と偉そうなことを言ってしまいました。
実はネタ切れで、他に書くことがなかったんです。
1週間に1回は更新しようと思っているのですが、今週はお休みしようか・・・と考えたあげく、こんな話題になりました。
失礼いたしました!
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