私たちは、T(時)・P(場所)・O(場合)によって、特に意識しなくても日頃の言動を変えることができます。
それは多くの場合、成長するに従って自然に身についていくものですが、自閉症の人達にはなかなか難しいようですね。
例えば、母親の年齢を聞いてもさほど失礼でもないのに、他の女性に聞いたりするととても失礼なことだったり・・・
小さいうちは、かわいいですまされていることでも、大きくなるにつれて許されないことが多くなっていくものです。
我が家でも、普段家族で過ごしているときには、ルカはある程度のコミュニケーションがとれるし、何よりも家族が慣れてしまっているところがあって、違和感なく過ごせているのですが、いざ外に出てみると、問題続出!になってしまいます。
とくに、年に何回かしか会わない親戚に会ったりすることは、本当に緊張の連続です。
今はそれほどでもありませんが(問題はいろいろとありますが)、小さい頃は「おじいちゃんのハゲ頭〜」といって、祖父の頭をバンバンたたいてみたり、お小遣いをもらっても、あげた人の目の前でお札を投げ捨ててしまったり、母親である私の顔に泥を塗りたくり続けていたようなものでした。
「失礼でしょ」と注意しても、人の感情を理解することが難しい彼にはわかるはずもないことでした。
それでも、成長するにしたがって、彼なりに"使い分け"というものができてきているように思います。
例えば、自分の家族に対しては、「お母さん太ってる!」とか冗談?ではなくて、真実を笑いの種にしたりしても、家族以外の人には容姿について言わないようにするとか、モノをもらったときには、それが自分が気に入らないものでも、とりあえず「ありがとう」というとか。
今年のお正月、祖母が作った料理を食べることが多かったのですが、家に戻ってから
「ホントは、嫌いなものが多かったけど黙ってた。作ってくれたおばあちゃんに失礼だから」と言っておりました。
ちょっと前までは、自閉症の人達は、T・P・Oを身につけるのはその障害の性質上、ほとんど不可能なことのように言われていたように思います。ある一つの行動が家の中ではよくて、家の外ではダメだというような、あいまいな指導は避けるべきだと、ルカが小さい頃にはよく言われていました。
確かにその通りなのですが、ルカのようなタイプの子に関しては、不可能と思われていたことも、細かく説明すればわかってくれることも多いのでは?というのが、今の私の気持ちです。
例えば「失礼」にあたる行為というのは、どういうことなのか。失礼な行為をされた人の気持ちはどんなものなのか。一つ、一つ繰り返し教えていくと、ある程度非社会的な行動というモノをおさえることができるのはないでしょうか。
教え方のポイントとしては、相手の気持ちに共感させるような方法ではなくて、ノウハウとして教えるということでしょうか。
人の感情を理解するのが難しい人に対して、いきなり"相手の気持ちになってみなさい"というのは、酷なことで、混乱のもとです。
一般的に言って、そのような行動は社会的には受け入れられないとか、相手は嫌な気持ちがするものだ、というふうに説明していくと、全く同じような場面でなくても、ある程度応用できるようになるかもしれません。
我が家の場合は、やはりルカに障害のことを告知してから、ルカの場合と障害のない人の場合とをスムーズに説明できるようになりました。
上記のお正月の例を取ってみても、ルカもある程度は理解できるようになったかなあと思っています。
それにしても、人間の脳ってホントに複雑にできているんだなあと、ルカの障害を知ってからつくづく思い知らされます。
私たちは、特に努力もせずに、社会の暗黙の了解を理解しているわけですが、わからない人にとってみれば、それを理解するのに非情な努力を要求されているんですね。
社会の一員としてやって行くには、そういう努力は不可欠なことかもしれませんが、やはり素の部分を出せるところが必要ですよね。
演技する部分と、素の部分とバランスよく使い分けできるようになって欲しいなと思っています。