ルカは、満3歳の時に自閉症という診断をされたわけですが、皆様御存じの通り、自閉症の仲間はいろいろありまして、専門的に言うと自閉症の仲間をひっくるめて、広汎性発達障害とか、自閉症スペクトルと言うそうです。
ルカは、その自閉症スペクトルの中をさまよい歩き、今まで4つの診断名がつけられました。
私もルカが自閉症と診断されてから、診断名がとても気になった時期があって、なんか気持ちがもやもやしていたので、自分の子供の診断名に疑問を持っている親御さんの気持ち、よくわかります。
でも、だんだん、診断名は何でもいいかなあと思うようになりました。子供に対してのアプローチが検討はずれでなければ、自閉症でも、高機能でもそんなに問題ではないのかもと、思い始めました。
それから、学校では自閉症児のことを情緒障害児ということがあるようですが、始めは、そのことにも大変憤慨していました。でも今となっては、情緒障害児と言われようが、なんでもよくなって、とにかくちゃんと教育してくださいと、そんな気持ちです。
つまり、私が言いたいのは、ネーミングであれこれ悩むのでなくて、我が子にはどのような関わり方がいいのか、まず、そっちの方で悩んで欲しいなあということです。
まあ、それはともかく、一度ルカの診断名の推移について、どこかで説明しなければ・・・ということは思っておりました。しかし、これが難しい。だって、私が診断したわけではないので。いい加減なことを書くなよと、どこからか声が聞こえてきそうで、ずーっと避けてきたわけです。
それで、本題に入る前にお断りしておきます。これはあくまでも、ルカにいろいろな診断名が付けられた時の私個人の考えです。専門用語の使い方も間違ってしまうかもしれないので、そこらへん、考慮して読んでください。当然、長くなります。覚悟して読んでください。
1.精神遅滞を伴う自閉症 2.非定型自閉症 3.高機能自閉症 4.アスペルガー症候群 5.想像力の障害 6.まとめ |
ルカに初めてついた診断名は多分、これです。「小児自閉症」という言い方もあります。 ルカが3才〜小学校入学前まで、確かこの名前です。 要するに、どこからどうみても自閉症です。知能のおくれもありますということです。 私は、ルカが自閉症と診断されるまで、自閉症のことは何も知らなくて(それに比べると、今のお母さん達ってかしこいですよね。)、その言葉のイメージから、なんかおとなしくて、人付き合いのきらいな人なんだろうと、勝手に思いこんでいました。だから、ルカは違うよなあ、こんなにうるさい自閉症がいるものかと、そう思っていました。 ちょうど診断される少し前、新聞に学習障害児のことが載っていて、もしかしたらルカって学習障害児?なんて、思っていました。多分、自閉症より、学習障害児と診断された方が、障害が軽いイメージがあって、無意識にそう思いこもうとしていたのかもしれません。 もちろん、お医者様はいきなり、精神遅滞を伴う自閉症だと、はっきり言ったわけではありません。ルカが診察室に入ったら、すぐわかったかもしれませんが、親の気持ちを考えて、「自閉症かもしれない」みたいな、ちょっとオブラートにくるんだ言い方だったと思います。 それでも、私にとっては、インパクトは十分!! という感じでした。 冷静に考えると、確かにあの頃は、どこからどうみても自閉症でした。(プロフィールを参照してください) 知能も健常児の半分にも満たなかったと思います。 おもしろいことに、心理の先生にルカが3歳の頃、知能が1才半にも満たないと言われたのに、私はショックどころか、この子に1才半の力があるんだろうかと疑問に思ったものです。 それだけ、日常的に、こちらの言うことを理解してくれない、身辺自立ができないといった問題に振り回されていたのだと思います。 それでも、だいたいの親御さんはそうだと思いますが、自閉症に関する本を読んでいても、ここはうちの子と違うから、うちの子は自閉症じゃないのではと、診断を疑って見たくなることがありました。 例えば、イナイイナイバーを喜ばないとか、ぬいぐるみをかわいがらないとか。ある本に「ぬいぐるみを幼児期に赤ちゃんのようにかわいがるような子は自閉症じゃない」という記述があって、私はルカもそうなのかと思い、クマのぬいぐるみを「いい子いい子」してねと、抱かせたところ、その通りルカがやるので、???と思ったものです。 でも、これって、かわいがったんじゃないんです。ただ、私のマネをしただけ。健常児のごっこ遊びとはほど遠いものだったと、いまなら思えます。ただ、模倣ということは、遅ればせながら、幼児期にもある程度できていたようです。 そうそう、今となっては、秀でた能力も見受けられず、平凡なルカですが、この頃、しゃべらないのに、アルファベットが読めてました。小学校4年の時にローマ字の学習があり、ルカは読めると思っていたのに、小さい頃覚えたアルファベットは見事に忘れていましたけれど(笑)。 ページのトップへ▲
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この診断名は、ルカが小学校入学とほぼ同時に付けられました。 非定型自閉症とは、"自閉症もどき"ということで、自閉症みたいだけれどもなんか違うなあと思われる子供、知能の遅れがあって、その遅れの方がメインかなあと思われる子供ということでしょうか。 どんなところが非定型だったのかなあと振り返ってみますと・・・。 通園に通っていた頃、同じグループにいた自閉症の子のお母様に、「ルカ君は、普通の子供っぽい」と言われたことがあります。 どういうことかと言うと、変わった好みを持ちながらも、普通の子供が喜ぶことをルカも喜んだりできるということでした。 例えば、みんなで遠足に行って、いろいろな遊具で遊んでいても、先生が今日はこれで「お・し・ま・い」というと、自閉症の子は、「おしまい」といわれたらやめるという、日常の決まり事を優先するので、今まで遊んでいたのが嘘のように、なんの未練もなく遊びをやめることができるようです。 しかし、ルカはその決まり事を優先するよりも、もっと楽しい遊びをしたいという気持ちを優先し、しばしば先生を困らせたりしていました。 一見、困った行動に見えるのですが、そのほうが普通の子供っぽいのではという考えもできるかもしれません。 もちろん、ほんとにおしまいの意味がわからずに、遊びがやめられない自閉症児もたくさんいるとは思いますが。 それから、人の区別がつきにくいということも言われますが、例えば、教室でグループ治療を受けている時に、いつもと違う見慣れない人が、教室に入ってきたとします。 「この人は、一体だれ?」と、普通疑問に思って、その人を見ると思うのですが、自閉症グループの子は何の関心も示さないことが常です。 しかし、ルカはそういうときも、疑問を持ってじーっと見ることができたことがありました。 もっと、知恵がついてきた段階では、自閉症の子は本を読んでも、行間が読めないといわれます。 例えば、「君は・・・」と書かれていても、前後の文脈から判断して「君は誰?」と聞いているんだなあと、わかるものですが、それがわからないといわれます。 ルカの場合、結構早くから、そういうこともできていて、文に書かれてないことまで、よく読んでしまうことがありました。 これは、一見いいことに思えるのですが、正確さに欠けるという意味では、自閉症のいいところを持ち合わせていないという、マイナスの面にもとらえられると思います。 言語理解の面では、言葉通りの理解をしてしまうということで、「お風呂の水を見てきなさい」といわれると、ほんとに水をみるだけで、お風呂から水があふれ出ても、蛇口を止めないという、非常にポピュラーなたとえ話がありますが、ルカはそういうところも、正確に言わなくても水を止められたように思います。 しかし・・・これも少々高度になるとわからなくなるようで、つい最近「疲れたなら横になりなさい」と私が言ったら、困った顔をして「僕、いつも仰向けに寝るから、横には寝れない」と言われたことがありましたが。(笑) 日常の決まり事にこだわるという面では、例えば、毎朝花に水をやることが日課となっている自閉症の子がいたとします。その子は、きっと雨が降っても日課なので、花に水をやります。でも、ルカの場合「今日は雨だから、水はあげなくていいよ」といえば、そういうことは理解できて、水をあげないだろうと思います。これもだいぶ小さい頃から、そうだった気がします。 まあ、自閉症と診断されている人でも、全くすべてが自閉的ではないわけで、一人が一人が違うわけですが、専門家から見て、いろいろ総合的に検討してみると、どうも非定型だな、ということなんでしょうね。 ちなみに、ルカの知能についですが、小学校入学直前に行ったビネー検査では、すでに境界線の領域でしたが、今後ずっと境界線であるのか、まだ確証は得られてなかったのではないでしょうか? ページのトップへ▲
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この診断名は、ルカが小学校3年生の頃ついたものです。 私としては、ルカについた診断名の中で、一番納得のいかない名前でした。 私が勝手に作り上げていた高機能のイメージとルカが、あまりにもマッチしていなかったことが、その理由です。 ルカが小さい頃は、アスペルガーの診断を受けている人に出会うことはなかったのですが、高機能のお子さまとは、出会う機会がありました。その子たちは、字が読めたり知識もあるのに、対人関係において、とても独特なものがありました。 ルカはそれに比べると、知識はないのですが、対人関係においてそんなに自閉的ではないような気がしたのです。 しかしながら、高機能が、知的な遅れがなく、自閉症以外の異常が認められない場合に付けられる診断名だとすれば、その頃のルカはまさに高機能自閉症と言えたと思います。この頃は、まだアスペルガーという診断名は、積極的に使われない時代だったのかもしれません。 小学校入学の頃に、ビネーではすでに境界領域の知能であった彼は、その後WISC(ウェクスラー知能検査の小児版)の検査でも、一定して境界線領域の知能レベルに達していました。 今考えると、彼が知的に遅れがないのでは?ということは、知能検査が数値を示す以前に、いろいろな面で見受けられたと思います。 小学校入学前の1年間、ルカが行動の面では安定してきたということもあって、リハセンターの個別指導で、少しお勉強的なことをやってもらいました。 数の概念や、物の色・形・大小の区別などができるか、またそれを言語的な質問によっても理解できるか、というような課題でやっていたと思います。 きっと自閉症の子には難しいんだろうという、私の予想とは裏腹に、ルカはそれらの課題を楽にクリアしていたように思います。 学校に入学してからも、国語の読み・書き、算数の簡単な計算などは、同学年の子供と比べても、そう遅れがなくできていたように思います。 精神遅滞の子供だと、何度繰り返し教えても、なかなか学力が蓄積されないような話を聞きますが、ルカの場合、教えたことは一応身について、蓄積できたように思います。 ただし、個別に教えた場合です。それと、文章の意味がわからないと解けない問題は、やはり苦手でした。 ところで、ルカは精神遅滞を伴う自閉症から出発していることと、私が学力よりも生活面の自立に重点を置いて育てたためでしょうか・・・ WISCの検査結果を眺めながら、主治医がこんなことを言いました。 「知識の項目が低いよなあ。もっと、アカデミックな家庭環境にしなきゃだめだよ」 私は、アカデミックな家庭って何?と思い、家に帰ってこの話を主人にしたところ、 「要するに、教養のない家庭だってことだろ」と一言。 ふ〜〜ん、余計なお世話だ!!と思いつつ、そろそろルカも、教養を身につける時期なのかも?と思い、それからは、百科事典を一緒に見たりとか、知識面の充実ということにもちょっと気を配ったように思います。 主治医の一言のおかげで、それから知識のスコアは上昇しました。(笑) ページのトップへ▲
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高機能自閉症からアスペルガー症候群という診断名に変わったのは、多分ルカが小学校6年の頃です。 なぜ、アスペルガーなのか。ここが一番難しいところです。 自閉症スペクトルの中で、より軽症の一群ということでしょうか。 また、言語能力が高いということも、よく言われているようです。 ルカのここ数年のWISCの検査結果を見ると、確かに動作性IQよりも、言語性IQの方が上回っています。 自閉症の子供は、視覚的な能力や記憶力が良く、知能検査にもそれが反映するようですが、ルカの場合、小さい頃からちょっと違う形の結果を示すことが多かったようです。もちろん知能検査がすべてではありませんが。 ところで、アスペルガー症候群というのは、皆さん御存じのとおり、ハンス・アスペルガーさんの名前に由来して、名付けられたものですが、ルカが小さかった頃、アスペルガー症候群は、幼児期には発症しないものととらえられていたので、うちのルカには関係ないや・・・と思いつつ、アスペルガーさんが書いた「子供の自閉的精神病質」という論文を読んでみました。もちろん、邦訳されたやつですよ〜。 あれって、自閉症の親が読むと、ちょっとむっとするところがあります。 だいだい「精神病質」って何? それと「悪意ある行為」という言葉も出てくるし、自閉症と違うという反論をしたなくなると思います。 しかし、ルカが、プロフィールのページで紹介した、思春期の頃の不安定な時期にさしかかったとき、私はこの論文を思い出し、似ている!!と思ったものです。 知的に伸びてきたルカは、人との会話も外見的には、流暢にこなせるようになり、議論をすることをまるで好んでいるかのように、相手に難問を吹きかけては、自分の好きな話題を延々としゃべりまくるようになっていました。 また一方で、不安に陥ると、とても落ち込んで、自傷行為が復活したり、「透明人間が出てきて僕をバカだといっている」なんていうことを口走ったこともあります。 よくよく考えると、以前友達からからかわれたことを思い出して、言っていたようなのですが、そんなときは、 私はルカが発達障害だと知っているから、他の病気を連想したりしないけれども、もし小さい頃のルカを知らずに、この症状だけをみたら、誤解されても仕方がないなあ と、思ったものです。 幸いなことに、それらの症状は、家の中だけですんでいたので、周囲から他の病名を指摘されることはありませんでしたが。 そのように不安定になった一因として、ルカのなかで、人の感情をある程度意識するようになった表れだという考えもできると思います。 悩みが出てくるということは、心的に発達しているという考え方もできるでしょう。 典型的な自閉症の人は、他人にどう言われようと関係なく、我が道を迷いもなくつきすすむ事ができるかも知れません。 しかし、他人を少しでも意識できるようになったとき、そこから悩みは始まるのかも知れません。 ルカは、学校での友達や先生の関わりの中で混乱し、そしてまた自分自身の体の変化にも混乱していた時期だったのではないかなあと、思われます。 現在は、幼児期でもアスペルガーの診断を受けている人がかなりいるんですね。"アスペルガーの診断を受けた"というメールをいただいき、お子さまの年齢を見て、改めて昔と違うよなあと感じています。 そういうお子さまは、ルカとはまた少し違った歩み方をするのかなあと思ったりします。 幼児期には、発達、とくに言語の遅れが見られないことが、アスペルガーの条件のように考えられていたのが、ルカのように幼児期は明らかな発達の遅れがあっても、だんだん年齢を重ねていくにつれて、アスペルガーになりうると言うこと、それは、アスペルガー症候群が自閉症の連続体に位置するという、何よりの証明でしょう。 そして・・・ルカもその事実の証明に少しは貢献できたのかなあと、勝手に思っているわけです。 ページのトップへ▲
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自閉症の障害の三つ組みというのがあって、その中に想像力の障害というのがあります。 具体的には、子供の発達には欠かせない、ごっこ遊びができないとか、みたて遊びができないこと等を指します。 自閉症の子供は、その想像力が欠けているために、いわゆる常同行動と呼ばれるような、自分の体を刺激したり、物をくるくる回したりという単純な遊びしかできない、というようにも考えられるそうです。 さて、ルカはどうだったのか? ルカがアスペルガーになり得たのは、この障害がさほど重くなかったからなのだろうか?と、思ってみたくもなります。 1.精神遅滞を伴う自閉症のところで少し触れましたが、ルカはかなり小さい頃から、ごっこ遊びもどき(もどきであって、決して普通のごっこ遊びではありません)ができていたような気がします。 ルカがまだ自閉症とわからなかった頃、すでにTVビデオにハマっていたのですが、お気に入りのビデオの一部始終をマネすることが、ルカの遊びでした。 例えば、動物もののビデオがあって、サルが、いわゆるサル芸を披露するわけですが、ルカは何度もビデオを、それこそすり切れるまで見て、自分も一緒にサル芸をしていました。(笑) どんな形にせよ、模倣するということはいいことに違いないと思った私は、ルカが5才頃からでしょうか・・・ あかずきんちゃんや、おおかみと七匹のこやぎなどの、かぶりものの劇を家族で見に行き、家に戻ってから、それぞれ役を決めて、あかずきちゃんごっこをやったりしました。 ルカもルカの妹も喜んでやっておりました。 あのころは、私も主人も若かったのか・・・割と恥ずかしいとも思わずに、劇ごっこを家族で楽しんでいました。ルカも一つの決まった役だけではなく、いろいろな役を抵抗なくやっていました。話の筋も割と理解できていたように思います。 やがて、劇ごっこは、テレビアニメのなりきり遊びにかわりました。遊び相手は妹です。妹もなりきり遊びが楽しい時期だったのでしょう。よく二人で、真剣に?していました。 それから、ぬいぐるみや、マスコット人形を使って、妹とオリジナルな物語を作って、人形劇のようなものをやっていました。 この頃から、私はちょっと不安になってきました。ルカがあまりにもなりきり過ぎて、その姿がちょっとあぶないものを感じさせたからです。 お兄ちゃんが勝手なことをする、妹が勝手なことをすると、二人ともそれぞれの主張を譲らず、よくけんかをしていました。 また、お気に入りの女の子のマスコット人形があって、ルカは寝るときもその人形と寝ていました。小さい人形だったので、見失うことが多く、見つからないと大騒ぎでした。 こんなことを、いつまで続けているのだろうか・・・と、心配になったものです。 このような遊びは、自分の世界に入りすぎてしまう傾向があり、周囲の人は不安になることもあろうかと思います。 しかし、救いだったのは、ルカの場合、自分だけではなく、妹という相手がいたことです。 けんかをしながらも、妹とのやりとりの中で、ルカは大きく成長できたように思います。 自分の世界に浸っているとき、そこにどれだけ現実の世界が入り込めるのか・・・これがポイントかも知れません。 ルカの場合、ごっこ遊びもどきは、自然に消滅しました。 意外な事ですが、ごっこ遊びが終息しつつある頃、ルカは私がその遊びを見ているのをいやがりました。「見ないで!!」と、よく部屋の戸を閉めてやってました。 主人はそれを見て、 「俺も、小さい頃、ウルトラマンごっこに夢中になって、近所のおばあちゃんにそれを 見られて、妙に恥ずかしかったのを覚えているなあ」 と、言っていました。 果たして、自閉症のルカにそのような感情が芽生えていたのでしょうか・・・・。 なにはともあれ、ごっこ遊びを通して、たとえそれが"もどき"だったとしても、彼の想像力の障害に、何らかの影響を及ぼした可能性があると思われます。 その後も相変わらず自分の世界を持ち続けているルカですが、人前でやることはめったになく、その世界も、アニメのなりきり遊びから、なにやら秘密ノートに書き込む事や、部屋でぶつぶつ独り言を言うことなどに変化してきています。 そして、決して自分の世界に浸りきりではなく、そのほかにもいろいろな興味を持ち、例えば野球に興味を持って、始めは野球観戦をして、やがて自分でも野球がやりたくなって、バッティングセンター通いをするとか、そういう普通の子供が楽しめる事にも、興味を持てるところが、ルカの取り柄かなあと思っています。 ヨーヨーがはやっていた頃は、ヨーヨーの名人目指して、日夜練習に励んでいました。 電車の趣味にしても、どこかへ外出するときは、ルカの豊富な知識が大いに役立ちます。 そういう、独特な趣味の中にも、社会との接点を持ち続けることが、大切なのかなあと、思っております。 ページのトップへ▲
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やっとここまできたか、という感じです。 ルカの障害を説明するとき、同じ自閉症でも、小さい頃と違ってきているために、周囲に説明する事が、時には非常に憂鬱になることがあります。 その理由として、小さい頃からアスペルガー症候群の診断名をいただいてる方には、ルカくんは本当はアスペルガーじゃないのに、お母さんが勝手にそう思っているんじないの?という憶測を持たれてしまうことです。 これは、まあ、そう思っていただいても別にかまいませんが、問題はもう一つ。 ルカが早期療育を経験していることで、早期療育をすると、知能指数も伸びてアスペルガーになるんじゃないかと、期待を持ってしまわれることです。 確かに、ルカが早期療育を受けたことは、非常にラッキーなことで、ルカの成長にも多大な影響をもたらしたのだと思います。 しかしながら、ルカがアスペルガーになったのは、もともとそういうふうに生まれてきているからだと思うのです。 早期療育によって、障害そのものが軽減されるとは、私は思っておりません。 "障害とのつきあい方がうまくなる"といった方が正しいような気がします。 確かに、ルカは早期療育の中で、認知能力を高めるような指導もしていただきました。 療育を受けなかった人よりは、ちょっと先にいろいろな能力を獲得できていたのかも知れませんが、もともと持っていたものを少し早めに引き出してもらっただけかもしれません。 もちろん、早めに引き出してもらうことによって、日常生活の混乱を最小限にとどめることはできたかもしれません。 しかし、そのような能力的なことよりもむしろ、ルカのパーソナリティー全体に、多大な影響を及ぼしたのではないかと思っています。 もし、私がルカの障害を知ることができずに、子育てを行っていたとしたら、現在こんなに穏やかに暮らせただろかうと、ルカのことがわからずに、不安定な状態が続いていたら、ルカと私の関係はもっと、険悪になっていたかもしれません。 アスペルガーは確かに、自閉症の中では、軽症なのかもしれません。 しかし私は、障害が軽いということと、予後がいいということは必ずしも一致しないのではと、思っています。 予後がいいとか、悪いとか、親は、とても敏感にその言葉に反応してしまうものですが、 そもそも、予後がいいということは、どういう状態を指すのでしょうか。 私もそうでしたが、専門家に「将来、子供に望むことは」と聞かれると、社会的に自立して欲しいと答える人が多いことと思います。 自立って何なのでしょうか? 一般就労すること? 親元を離れて暮らすこと? 地域に受け入れられて暮らすこと? 確かにすばらしいことですし、自閉症の中では、アスペルガーの人が一番近道にいるのかもしれません。 それでも、いざ一般就労しても、職場の人間関係に悩み、中途半端に他人と自分の違いがわかるがゆえに、日々、苦しんでいる人も多いのではと、思います。 だからといって、一般就労をせずに、福祉の恩恵を受けようと思っても、そういう社会システムには、まだまだなってくれそうにありません。しかも、本人のプライドが許さない場合もあるでしょう。 要領が悪かったり、中途半端に知識があるために、単純作業に向いてない場合もあるでしょう。 このような状況のなかで、自分が生きていく場所を見つけるのは、容易なことではないと思っています。 それでも、それはきっと障害を持っていない人でも、同じことかも知れません。 生きるって大変なんですよね。 ページのトップへ▲
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予想通り、長くなりました。果たして、全部読んでくれた人はいたのでしょうか・・・
今回は、私にとっては難しいテーマだったので、昔読んだ自閉症関連の本をまた読み返してみたりしました。
最後に、一冊だけ私のお気に入りの本を紹介して終わりにします。何の根拠もありません。
いろいろ読んだ中で、やっぱりこれかなあと、個人的に気に入っているだけです。
「自閉症の謎を解き明かす」 著者 ウタ・フリス 訳者 冨田真紀/清水康夫 東京書籍