確かに、今の私は、ルカのこうしたい、ああしたい、または、こうしたくないという気持ちを尊重するようにしています。
中学に入ってからは、交流の教科をどれにするかとか、部活はやらないとか、家族で外出の時も、ルカが気が進まないようであれば、無理には連れていかないで、留守番をお願いすることもあります。
それは、今のルカだったら、自分で決められるだろうという、見通しが出来たからです。
ルカが小さい頃は、どちかというと、あまり本人に「どうする?」なんて、聞いたことはありませんでした。
自閉症の子は、自由な時間の過ごし方が、苦手だ言うことをよく聞きます。
小さい頃のルカもまさにその通りで、何かに集中していれば良いのですが、やることがなくなると、問題行動が出ていました。
それと、たくさんあるモノの中から、自分の好きなモノを選択するとか、そういうことも苦手だったと思います。
リハセンターで療育を受けていた頃は、スタッフの方も、そこら辺をよくご存じで、ルカに対しても細かい指示を出してくれていました。
ところが、学校に行って、その環境はがらりと変わりました。
教育に携わる人は、「自主性」という言葉が、大好きな気がします。
確かにいい言葉かも知れませんが、ルカはその「自主性」を重んじられたおかげで、小学校に入って、だいぶ混乱してしまいました。
例えば、ルカが小学校1年生の頃、学校に持っていくモノを、先生が全然教えてくれないので、何が必要なのか聞いたところ、「ルカくんの好きなモノでいいですよ」と、言われてしまいました。
幼稚園の時は、週末に体操着や上履きを家に持ち帰る習慣があったので、学校でもそうして欲しいと、私が要望したところ、いちいちルカに「これ、もって帰る?」と、聞くのです。
残念ながら、その頃のルカは、そうしたことを自分で判断できるほど、賢い子ではありませでした。
障害のない子供だって、小学校1年の時は、毎日、次の日持ってくるモノを、先生から指示されていたはずです。
しかし、その先生は、ルカクンの自主性を育てたいとかなんとか、そんなことを言っていました。
そんなこともあって、実は私は、この「自主性」という言葉・・・あまり好きではありません。
極端な話、生まれたばかりの子供に対して、何でも好きなモノを食べなさいとか、どこでも好きな所に行きなさいとか、そんなことは言いませんよね。
親には、この世界で生きるための、いろんなルールを子供に教える義務があります。
特に、ルカの場合、発達に障害があるわけですから、普通の子以上に、細かい指示を出して、いけないことはいけないと、小さい頃から教えなくてはいけない・・・ 私には、そんな想いがありました。
だから、周りから見ると、ちょっと厳しい母親だったろうなと思っています。
それが、ルカが小学校4.5年生ぐらいからでしょうか。それまでは、親がだめといったら、だめと、毅然と振る舞っていた私ですが、だんだん、それが通用しなくなってきました。
いわゆる、学校の言うところの「自主性」が、やっとルカにも芽生えてきた頃だったのかも知れません。
これは、ちょっと接し方を変えなくてはいけないなあと思いました。
それからは、だめなコトは、なぜだめなのか、ルカは、どんな気持ちでそれをやったのかとか・・・ルカの気持ちも聞くようにしました。
もちろん、ルカの言語能力が伸びてきたからできたことですが・・・
そして、私もルカの成長と一緒に、変わって行かなければいけないんだなあと、思ったものでした。
結局のところ、現在、自分の子供は、どんな位置に立っているのか・・・それを見極めながら、進んでいくことが大切なんだなあと思っています。
「自主性」が大事だからといって、なんでもかんでも、誰でも彼でも同じ接し方をしてよいものかどうか。
現在の私が、ルカに対して、ルカの気持ちを尊重しているように受け止められても、それは、中学になって、自分の障害も知っているルカだから、そうしているのです。
これは、障害児であるかないかは関係なく、自戒を込めて私は言いたい!!
子供をしつけるべき時は、ちゃんとしつけようよ。中学になってから、親の言うことを聞いてもらおうと思っても、もう遅いんです・・・。