颪っこの話
―1―
おどろし山には颪(おろし)っこが住んどるそうな
ひゃっこい眼をして天を睨んどるそうな
そんで、お天道(てんとう)さんもおどろし山だけはよけて通るそうな
んだども、赤いお月さんの出る晩はひゃっこい眼をちいっと温とうするそうな
―2―
おどろし山に颪っこが住みつくようになったのは、
ばっさまのばっさまもよう覚えとらん頃からだそうな。
ずいぶんと暴れもんだったでよ、風神さんに天から追い出されたっちゅう話だ。
その顔ときたら昔話の鬼っこより恐ろしか顔だちゅうて村のわらしっこは
だれひとり颪っこと遊ぼうとはせんかったと。
鶏(にわとり)っこをそのまんま喰ってしまうっちゅうて、しまいにゃ人間さまも喰われてしまうんじゃないかと、
颪っこがおどろし山に住むようになった時分は村人(むらびと)は夜もおちおち眠れんかったそうな。
―3―
ある年のことだったと。
村は何年ぶりかのひどい日照りが続いておってな。
来る日も来る日も空は雨雲を隠したまんま、お天道さんをふんぞり返らせていたと。
いつもは黄金色(こがねいろ)に輝く穂を波打たせる畑(はた)には
ひび割れた土気色(つちけいろ)の地おもてがどこまでも広がっておったそうな。
―4―
その日も村には雨乞いの祈祷が夜遅うまで虚しく響いておったそうな。
なまぬるっこい空の真ん中では
赤いお月さんがなぜだかおろおろ落ち着かぬ晩だったと。
ひとりの女が生まれたばかりの赤ん坊をふところに隠すように抱いて
おどろし山を登って行ったそうな。
ひょろっこい赤ん坊の消え入りそうな泣き声がおどろし山を這うように
足音を引きずっておったと。
女はおどろし山のお社まで来ると赤ん坊を地べたに下ろし
しばらくじっとその顔をみつめていたそうな。
そんで自分の両手を合わせると涙で顔をくしゃくしゃにさせたまま
やせこけたがさがさの手で地面を掘り始めたと。
女は小さくぽっかり開いた穴に赤ん坊を入れ、泣きつかれて寝入ったその顔に
くるんでいた布の端っこをかぶせるとそのまんま土をかけてしまったんだと。
―5―
「もう、腹っこさ すくこともねえでよ…」
そのときだったと。
お社の奥の洞穴(ほらあな)からひゅうっと風のうなる音がしたんだと。
すごい地響きがして、女はびくっとからだを震わせた。
そうして一心に念仏を唱えたそうな。
「なんまいだ、なんまいだ」と唱えながら女は
そのまんま駆け降りるように崖から身を投げてしまったんだと。
すぐに女の転げ落ちるからだを毛むくじゃらの太い手がぐいと掴んだ。
そんで女のからだを、地べたに寝かせ「わおお わおお」と、息を吹きかけたそうな。
だども、白い眼をむき、口から泡を吹いたまま女は二度と目を開くことはなかったと。
太い手はすぐにお社の前に埋められた赤ん坊を掘り起こしたそうな。
赤ん坊ももうぐったりとしておってな。
そんでも「ひゅう」と、そうっと息を吹きかけ、そのひょろっこいからだを逆さにしてゆすってみた。
「きうきう」と、はじめは頼りなかった泣き声は
何日もせんうちに「おぎゃあ おぎゃあ」と
おどろし山じゅうを跳ね回る賑やかな声に変ったんだそうな。
―6―
日照りの夏はそのまんま、からからに乾いた秋を連れてきたと。
それでもお天道さんがようやっと、気の抜けた愛想笑いをし始めると、
村はあっというまにいつものような真っ白な冬におおわれたそうな。
そうして、春になり、夏が来て、秋が過ぎ、また冬になり…
季節がいくつも流れていったそうな。
しばらく村は穏やかな日々の中で
田も畑(はた)もまあまあの恵みを実らせておったそうな。
―7―
いつからか、村んひとのあいだで妙なうわさが流れるようになったんだと。
おどろし山のふもとにおかしなわらしっこが現れるそうな。
どこのわらしっこかだれも知らなんだと。
近頃は、だんだんと村はずれまで来るようになり、村のわらしどもが遊んどるのを
じっと見とるそうな。
裸同然のそのわらしっこは唖(おし)のようだで、名前を問うてもなんも答えんと。
はじめのうちは珍しがって近寄っていった村のわらしどもも、
「うおーうおー」と叫びながら、空の鳥っこたちを自由に操るわらしっこが
だんだん気味悪くなって、しまいにゃ石をぶつけて追い払ってしまったそうな。
そのおかしなわらしのうわさを耳にした庄屋どんは、
それが颪っこのだいじなわらしっこだとは夢にも思わなんだから
なぜか、でっぷりとした腹をさすりにんまりしていたんだそうな。
―8―
あの暴れもんの颪っこが、近頃妙におとなしゅうなったと、
天の上で風神さんは喜んでおったと。
そんで久しぶりに颪っこを呼び出したそうな。
「南の島のひとつ目っ娘(こ)にちいっとばかし手を貸してやってくれんか」
そんなわけで、颪っこは南の海を渡らにゃならんことになったそうな。
「おどろし山が真っ赤に染まる頃には帰ってくるでな」
そうわらしっこに言って、颪っこはギラギラ油汗を流してるお天道さんを横目に
南の島に出かけていったんだと。
しばらくはいつものように鳥っこたちと遊んでおったわらしっこだったが
颪っこは山が赤い葉っぱを散らす頃になっても帰ってはこんかったそうな。
―9―
そんなある日のこと。なんやら面白そうな踊りたくなる音がおどろし山に
流れてきたそうな。
村は秋祭りだったと。笛や太鼓がピーヒャララ、デンデコデンと、
ちいとばかし淋しくなっていたわらしっこを呼んでいるようだったんだと。
そんでもまた、石でもぶつけられやしまいかと
わらしっこはこわごわ村はずれで覗いておった。
だども、だれもわらしっこをいじめるもんはおらず、
それどころかわらしっこは手招きするきれいなべべの娘に誘われて
大層りっぱな屋敷に連れて行かれたんだと。
いままで喰ろうたこともないうまいもんをたあんと食わせてもらい、
つるつるする着物を着せられたんだそうな。
次の日も、その次の日もわらしっこはその屋敷でだいじにされたんだと。
見知らぬ商人(あきんど)がその屋敷にやってきたのは
わらしっこがそろそろ山に帰らなくてはと思い始めた頃だったそうな。
じつはな、その屋敷は村の庄屋どんの屋敷でな。
庄屋どんは商人から一枚の金色に光る小判をもらうと
また、嬉しそうに腹をさすっていたそうな。
―10―
商人(あきんど)は庄屋どんから買ったわらしっこを引きずるように
近くの港に連れて行ったそうな。
鳥や獣を自在に出来る芸をするわらしっこは南の国でたくさんの金や銀になるんだと。
はじめて目の前に広がる海に驚きながら、わらしっこは言われるままに一艘の舟に乗せられたそうな。
それでも、おどろし山の颪っこのことが気になって
やっぱり帰りたいと「うおーうおー」と泣いたそうな。
それまでは笑っていた商人の目が急につり上がり、
泣き叫ぶわらしっこを無理やり帆柱に縛り付けたんだと。
空のかもめもどうする事も出来ずただおろおろ舟の周りを飛び交うばかりでな、
商人の手下がごつごつした棒で殴りつけるたんび
「うおーうおー」と泣くわらしっこの切ない叫びは
絶え間なく唸り続ける海鳴りと大波の砕ける音に丸ごとかき消されてしまったそうな。
―11―
南の海の上ではひとつ目っ娘(こ)と颪っこが代わる代わる
大きな風の渦を作っては海に向かって投げつけていたそうな。
今年は颪っこが加勢に来てくれたおかげで
「ちいっとばかし、楽させてもらえたたい」と、ひとつ目っ娘も喜んでおった。
颪っこも若い娘の嬉しそうな笑顔に気をよくして
なかなか、おどろし山に帰るのを言い出せんでおったそうな。
そんでも、その日は「明日には帰るべえ」と朝早くから仕事に精を出していたと。
海の上では一艘のちいさな舟が大波に呑まれ深い海の中に吸い込まれてゆくのが
見えたそうだが、今年最後の自慢の渦が上手く出来たと、
ひとつ目っ娘とはしゃいでおったんだと。
その自慢の渦が沈めた舟に、大切なわらしっこが乗っておったなど
颪っこはなあんも知らんかったそうな。
―12―
次の朝風神さんの許しももらえたでと、
颪っこはひとつ目っ娘(こ)に別れを言って
意気揚揚とおどろし山に戻ってきたそうな。
待っているはずのわらしっこがどこにもおらんと山じゅうを探し回ったと。
来る日も来る日も寝ずに捜したそうな。
目を真っ赤にしながら捜したそうな。
―13―
その年の冬、おどろし山はいつもの冬よりずうーっと荒れてな。
村は朝から晩まで獣のように吠え続く猛吹雪のせいで
あっというまに埋もれてしまったと。
庄屋どんも、庄屋どんのりっぱな屋敷も、庄屋どんの大好きな小判も
なんもかも、みいんな重たい雪に押しつぶされて埋もれてしまったんだと。
―14―
天のずうっと上の方で、颪っこの荒れる様子を見ていた風神さんは
あごに手をあてしばらく考えておったそうな。
そして、「ぽん」と、手をたたくと、海神どんをそっと小声で呼び出したと。
ひそひそと声をひそめふたりはなんやら話おうていたそうな。
それから、自分の住み処(すみか)に戻った海神どんは
長老亀に言いつけ海の底に漂っていたわらしっこの白いカラダを運ばせたんだと。
海神どんが呪文を飛ばすとそのカラダから、ちいさな泡がいっぱい出てきたそうな。
そうして、風神さんから預かった袋にその泡ぶくを全部詰め込んでしまったんだと。
長老亀はまた、言いつけどおりその袋をおどろし山の近くの砂浜に持っていってな、
そこで泡ぶくを空に放ったと。
放たれた泡ぶくは真っ白な風の花びらになって、
おどろし山まで一気に駆け上っていったそうな。
―15―
おどろし山の颪っこはわらしっこがおらんようになってからは
ずうっと、天を睨んで「うおーうおー」と吠えておったそうな。
春になっても「わらしっこが忘れられない」と喚き
夏が来ると「行かねばよかった」と嘆き
秋の終わりが真っ赤に染まるのを見ては泣き
「赤いお月さんが怒ってる」と言っては何度もため息をついていたそうな。
ちょうど田んぼにキラキラ光る露の柱が何本もおっ立った朝だったと。
海のほうからふわふわと危なっかしげに舞うものが飛んで来るのが見えたそうな。
真っ白な風の花のようだったと。
そんで、その風花はおどろし山までやって来ると颪っこの回りを包んだんだと。
懐かしい匂いで包んだんだと。
そのとたん、颪っこの胸ん中がぬくいもんでいっぱいになったんだと。
それは、風神さんと海神どんが颪っこのために
わらしっこのカラダから作ったあの「風の花びら」だったんだそうな。
風花はしばらく颪っこの腕に抱かれて嬉しそうに遊んでおったそうだが、
お月さんにせっつかされると名残惜しそうに海の風っこに連れられて帰っていったそうな。
―16―
おどろし山の颪っこは今日もひゃっこい眼をして
天を睨んどるそうな。
そんで、お天道さんもおどろし山だけはよけて通るそうな。
そんでも秋の終わりに白い花びらのような風花が遊びに来る頃は
颪っこもひゃっこい目をたあんと温とうさせるそうな。
だども、その年の風花が海へ帰ってしまうと
淋しいとひゃっこい目から大粒の涙をぽろぽろ流して泣くそうな。
わらしっこに会いたいと
「ひゅるるん ひゅるるん」と、泣くんだそうな。
そうしておどろし山から下りてくる颪っこの泣き声は
つべてえ、つべてえシガコのような冬っこさ
足の先っちょまで運んでくるようになったっちゅう話だ。
ばっさまのばっさまもよう覚えとらん頃の話だそうな…