桎梏の森                            

    

   ▼
okunbou     
            <オクンボウ=ふくろう>

 

 

桎梏の森でぼくは最初にまばゆい銀色の羽毛に覆われたオクンボウと出会った。

オクンボウは丸い瞳を小さくしたり大きくしたりしてぼくを見つめた。

思い思いに不思議な点滅を繰り返すその瞳は、まるで自由に時を招き入れる時空の扉のようで、

ふと、ぼくもその扉に吸い込まれこの森ごと消えてしまえたらと思った。

けれどオクンボウはすぐにその扉を閉じ、風に揺らぐ美しい羽毛の中に顔を埋めてしまった。

そうしてオクンボウはしばらくじっとそのままうずくまっていたが、

再び輝く綿毛のような衣装からくるっとその顔を出すと、

今度はその瞳に色とりどりの光の花を次々と咲かせ始めた。

それはぼくが今まで見たことのないミラクルな万華鏡だった。

そんな瞳のマジックに惑わされているぼくにむかって、

オクンボウは身動(みじろ)ぎもせずに言った。

  

「 探しておいで、ここにあるはずだから… 」

 

                                 

   ▼ishigame

 

 

真っ黒な覆いを被された森の中を、

かすかな木漏れ日を頼りに、昨日までぼくが居た場所とおなじ臭気を放つ、

朽ち果てて細切れにされた森の残骸を避(よ)けながらぼくは歩いた。

しばらく行くと石亀に会った。

とっくに風化してしまった化石のような甲羅からおもむろに長い首を伸ばし、石亀はぼくを見た。

どんよりと淀んだその目の表面にはうっすらと白い膜が張っていて、

見てきたもの全てを無に還してしまったかのような表情の無い目をしていた。

そして、その目でぼくをじっと見つめたあと、咽の奥から搾り出すようなかすれた声で、

けれど、はっきりと石亀は言った。

 

「 きのうは過去。いまもじきに過去。だが、いまはいま 」 



                                  

   ▼kawasemi

 

 

果てしない不安の棲み家のような森の中、ぼくは風の啼く声を気にしながら歩き続けた。

するとどこからか翡翠が飛んできた。

空色の羽根はとても綺麗だったが、絶えず笑いながら喋るその甲高い声はただ耳障りなだけで、

ぼくはすぐに耳を塞ぎたくなった。

そんなぼくにお構いなしに、翡翠は尖ったくちばしで延々と喋り続けた。

そう、延々と。

そして、ようやく話し疲れたのか翡翠は透き通る美しい羽根を翻して飛び去っていった。

ぼくの耳の奥には翡翠が置き去りにした言葉が強い香水の残り香のように

いつまでも居座っていた。

 

  「 そりゃそう…知りたくないことばかり 」

                                    

  

    hatarakiari

  

憎悪を撒き散らした森の中をぼくはただひたすら歩き続けた。

ふと見ると、ちいさな黒い点々がぼくの足元のすぐ傍に続いていた。

蟻の行列だった。

ぼくはむずむずと自分のカラダの中を這うような気持ちの悪さを感じていた。

それは『後ろめたさ』という針でちくちく突付かれる痛みにも似ていた。

ぼくはじっと耐えた。

せわしなく働き続ける蟻たちは、ぼくに気づくと憤りの目をぼくにむけてくちぐちに叫んだ。

 
 「 おまえだけじゃない!」 

  「 みんなおんなじ!」 

  「 だれだって そうさ!」 


                                   

   ▼yamakagashi

 

 

蠢(うごめ)く欲望の漂う森の中、ぼくは耐えられない生臭さに急にめまいを覚えて立ち止まった。

悪臭の先に光る目がふたつあった。

金色のカラダに赤い刺青を施し、全身に細い鎖を巻きつけたまだらの蛇がいた。

脱皮を終えたばかりの鱗は未知の空気に触れて興奮しているのだろうか、

妙に艶めかしく滑(ぬめ)りを帯びていた。

たったいままで彼の全てを守っていてくれたはずの皮膚は、置いてきぼりにされたままみるみる干乾びていった。

ヤマカガシは惨めな自分の抜け殻を一瞥すると、今度はその気味の悪い嫉妬深い目でぼくを嘗め回すように見た。

そして挑発するように赤い舌を出したり入れたりしていた。

ぼくは金縛りに会ったように立ち竦(すく)んでいた。

固まっているぼくに、ねっとりとした声でヤマカガシは言った。

 

        「 おまえに出来るのかい? 」



                                   

   ▼shimarisu

 

 

背中に悪寒を乗せたまま、ぼくはやみくもに森の中を走って逃げた。

あんまり慌てたので途中で何度もぼくの脳みそと心臓がぼくの体の中を行ったり来たりした。

途端、すれちがいざま脳のどこかの神経が絡んだのだろう、足が縺れて転んだ。

ぼくは少し休む事にした。

すると、木陰で休んでいたぼくの頭の上にこつんこつんと木の実がいっぱい落ちてきた。

見上げるとつぶらな瞳をした縞栗鼠がぼくを見下ろしていた。

縞栗鼠はぼくと目が合うと、するするっと降りて来て、あやまりもせずちょこんとぼくの膝の上に乗っかった。

そしてせかせかと木の実を拾い集めると、またあっというまに木の上に駆け上って行った。

ぼくの肩越しにこんな言葉を吐き捨てながら。

 

「 そんなところにいるからさ! 」

                                  

   ▼kodama



悔しかったけれどぼくは平静を装い、流れる汗を拭きもせずそのまま、また森の中を歩き出した。

花たちはぼくのことなど見向きもせずに、時たま零れてくる日の光を奪い合っていた。

木々の上では鳥たちが自分たちの囀りを褒めあっては仲間と戯れていた。 

 「 逃げてもむだだよ 」


途中で誰かがぼくに声をかけてきたようだったが、ぼくは嘲笑(からか)われるのはもうごめんだと、

耳を塞ぎ谺(こだま)のように追いかけるその声を無視して、黙々と歩き続けた。


                                     

    ▼ibogaeru

 
喉が渇いた、と思った。

ふと見ると、足元にちいさな泉が湧いていた。

ぼくは慌てて水を飲もうとして身をかがめた。

そこには無様な格好でぼくをじっと見つめる醜い疣蛙がいた。

疣蛙の傍には真綿のような白い泡にくるまれた、握りこぶし程の卵塊が自分たちの時の来るのを待ちながら、

ひっそりと呼吸を繰り返していた。

豆腐ラッパのような潰れた平べったい声で、ゆっくりと疣蛙は言った。

 「  尽きることなく溢れているから… 」


                                 

   ▼koe

逃げ場のない孤独を巻き込んだままの森の中を、ぼくはまだ歩いていた。

そんなぼくの行く先を突然塞いだやつが現れた。

大きな黒い樹々たちの影に隠され、そいつが近づいて来るのがわかった、

と同時に今までに味わったことのない「畏怖」という感情が、たちまちぼくを支配した。

無意識のうちにぼくは目を閉じ地面にひれ伏していた。

臆病なぼくの耳元で、以外にも穏やかな優しさで“声”は言った。

 「  ずっと待っていたよ  」


                              

   ▼taidou

 

 

湿った苔に覆われた大地から響くその声はぼくの内臓まで溶かしてしまうように、

じんわりと体内に染みこんでいった。

ぼくの体から腐りきった体液を一滴残らず吸い取ってでもくれるというのだろうか。

そして、ぼくのこの爛(ただ)れた心の汚れさえも。

ぼくは怯えながらも身を伏せたまま大地と抱き合っていた。

どのくらいの時が過ぎたのだろうか。

地の底の声はやがて力強い鼓動に変っていた。

それはどこか懐かしい響きだった。

ぼくは目を閉じたままその音に耳を傾けた。

久しぶりに出会ったこの心地よい感覚にぼくは震え、酔い痺れた。

それからゆっくりとそして静かに時間は流れていった。

封印されたこの長い時の河に浸かりながら、ぼくは森の胎動に包まれている心地良さをからだじゅうで感じていた。

                             

   

   ▼seireitati



閉ざされた時の中で、この森の胎内にいだかれて眠っている間に、

ぼくはもうひとりのぼくに出会ったような気がした。

だから目が覚めた時、ぼくは一瞬生まれ変わったのかもしれないと思った。

でも、それは本当に一瞬で、ぼくはやっぱりぼくのままだったし、森も相変わらず混沌の香りに満ちたままだった。

いつから居たのか、あのオクンボウがぼくの目の前でじっとぼくを見つめていた。

ぼくを見ていたのはオクンボウだけではなかった。

ぼくは森の精霊たちに囲まれていたのだ。

精霊たちはそれぞれの眼差しをぼくに注いでいた。

あの石亀も翡翠(かわせみ)も蟻たちも、そして蛇に栗鼠(りす)に蛙も。

みんながぼくを見ていた。

そして、オクンボウは初めて出会ったときのように揺るぎない声でぼくに問うた。

 

 「探し物は 見つかったかい? 」

 

                             

   ▼boku

 

 

すると、突然ぼくの目からとめどなく大粒の涙が溢れ出した。

ぼくの泣き声は森じゅうに響き渡った。

ぼくは思い切り首を横に振り、泣きながら叫んだ。

 

  なぜ、ぼくはここにいるの?

  なぜ、ぼくは走っていたの?

   なぜ、ぼくは耳を塞ぎ見ない振りして何を恐れていたの?

  いったい、この森はぼくに何をみつけろと?

  そして…ぼくはどこに行こうとしていたの?


                              

   ●Kotae…?

 

 

ぼくの叫びは森に驚きの沈黙を呼んだだけだった。

森は何も答えずただ、ぼくを嬉しそうに見ていた。

ぼくはまだぼくのままだったし、こたえも何ひとつ出てはいなかったけれど、

それでも、なぜか不思議と心は爽やかだった。

その途端ぼくは、ぼくにずっとねっとりと纏わりついていた悪寒のする何かが、

ぼくの中から離れていくのを感じた。

その瞬間だった。

ぼくの視界から森が消えた。

        
    

                                

   ▼ Sorekara



今でも時々、森の動物たちがぼくに声をかけてくることがある。

そんなときぼくはあの森にいだかれて眠っていた時の流れという揺りかごの安らぎを思い出してみる。

でもぼくはもう二度と「桎梏の森」を歩く事はないだろう。

ぼくは今自分を信じ明日と言う未来を拒むことなく生きている。

ぼくのこの目で今日を見つめ

ぼくのこの足で今日を踏みしめ

ぼくのこの手で今日を握りしめ

あるがままのぼくを抱きしめながらぼくの現在(いま)を生きている。