タイトル 作成 99/08/07  

写楽:画
三代目・大谷鬼次扮する奴 江戸兵衛
東京国立博物館所蔵:写楽画

 

謎の浮世絵絵師「写楽」とは誰なのか、写楽の実名探しが続いている。

浮世絵師「写楽」は、江戸の後期、寛政6年(1794年)5月に、版元蔦谷重三郎から26枚の役者絵を発売し、忽然とデビューしたのに、翌年2月には、浮世絵の世界から突然と姿を消した。生没年や前歴が不祥のため謎の絵師といわれている。

近代美術を髣髴させる、あまりに大胆なデフォルメな写楽の絵は、時代にマッチせず、役者やひいき筋からは評判が悪くあまり売れ行きも良くなかったようだ。

しかし、写楽は、僅か10ヵ月間に、役者・相撲絵など140点の作品を発表している。かの有名な「喜多川歌麿」でも10年間で140点あまりで、写楽の非凡な才能が示されている。

写楽の絵は大胆なデフォルメで役者の個性を引き出した、特異な顔立ちを表現した。
19世紀にドイツ人ユリウス・クルトが、写楽の絵に引かれ、「写楽」という本を書いて、ヨーロッパに紹介、一躍有名になった。

その後、日本でも、写楽の正体を探す研究が盛んになったが、その元は、寛政元年(1789年)の「浮世絵類考」にある。この中に、「月岑」は「写楽は斎藤十郎兵衛と称し、江戸八丁堀に住む阿波徳島藩主・蜂須賀氏に仕えた能役者である」としている。

一方、実力のある有名な画家の匿名説等があり、「葛飾北斎」(浮世絵師)「十返舎一九」(戯作者)「谷文晁」(画家)「丸山応挙」(画家)「蔦谷重三郎」(版元)「中村此蔵」(役者)等の名が挙がっている。

しかし最近埼玉県で発見され古文書に、これまで判らなかった斎藤十郎衛門の住所や死亡年月日が見つかり、これが江戸時代の写楽についての記載と一致することから、「月岑」の言う「斎藤十郎兵衛」説が有力視されている。